カメキチの目
という養老さんの本を読んだ。
あまりにおもしろかったので、いくつか感想を。
猫を飼っておられ(名を「まる」といいます。関係ないけどウチのとても親しい方のペット《犬》も同名)、その愛猫のように自分も「役立たず」、でも役立たずで結構と続けられる。
夏目(漱石)じゃないが、猫目で人間をみる。
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① 本の初めは「吾輩はまるである」。
養老さんは81歳。
そもそも「役に立つ」と私たちが言うとき、それは人間にとっての「役立つ」ことである場合がほとんど。
(それに、同じ人間といってもいろいろある。
「忖度」が出世に「役立つ」という人もおれば、出世なんか…という人もいます。
「役に立つ・立たない」というのは信じる価値、価値感によってさまざまなのですね)
「役に立つ」とかなんとかいっても、それは世間のものさしがほんど。
(「ふつう」とか「常識」というものさし)。
そんなもん、取り替えたくなる、0に戻し(リセットし)たくなると養老さんは言う。
【引用】
吾輩はまるである。
・(私たちがよく使う)それは、世間のものさしですよね。だから時々、ものさしを取り替えたくなる。まる(猫)をものさしにすることで、自分のものさしがリセットされるんです。…
・もっと成長を、もっと効率を、そんなものを必死に追い求めた結果、世の中はわけのわからないものになってしまいました。しかも、誰もそれを進歩だと信じ込んでいる。ヒトの欲にはキリがない。かたや、猫に限らず、動物は足ることを知っています。どちらが馬鹿で、どちらが幸せなんでしょうね。…
「ものさし」はいろいろあるといい。
そして、いろいろは多いほうがいい。
つまり、「多様」がいい。
もちろん、多ければいいというものではないかもしれないが、自分の「ものさし」も数ある中の一つに過ぎないと自覚するために、ときにはいろんな「ものさし」を知り、それで計ってみるがよい。
(まる《猫》ので人間をみるのもいいが、人間や世間をみるときも一つに限らず、いろいろな「ものさし」を使ってみるのがいいと思った。
「ものさし」は「せんたくし」ではないけれど、「選択」する参考・材料をいっぱい提供してくれそうです)
…ということに思いがいたったら、ブログはすごいとあらためて気づいた。
(たくさんある記事。その内容を「理解」し「共感」するには、自分の経験・能力不足です。
そうではあっても、「いろいろあるんだなぁ」「世の中はひろいなぁ」と感じることはできるはず。
ブログをするようになって、世界の広さ、深さを強く感じています《ということは、逆に自分の狭さも》)