kame710のブログ

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.4.23 未来の他者

          カメキチの目

 

 

 私は記憶力が弱い。

(でも、「覚えがございません」と言うほどの健忘症ではない)

 本を読み、気にいったことを見つけたら覚えておこうと、若いころはその箇所は赤線を引っぱったけれど、いまは時間があるので書く(パソコンに打つ)、写す。

 写し書きしたことはコピペで楽に記事に引用できる

(記憶力の弱さ+低下をパソコンは補ってくれる。議員や秘書、官僚もみんな残らずパソコンを持てばいいのに《あっ、持っていても「記憶にございません」か》)

 

『夢よりも…』は気にいった部分が多かった。

 もう一つだけどうしても記事にしたくなった。

 (「トカゲの…」が②だったので、これは③で、最後とします)

 

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 原子力は、武器として使用すれば人類を滅亡させるかもしれないけれど、「平和的に」使えば二酸化炭素も出さず、したがって地球環境にもやさしいエネルギー資源だとされている

 

 はたして(そもそも)いわれていることは事実、真実なのか?

(著者はそうではない反証を多くの専門家が述べていることを具体的にあげる)

 

 とほうもない長い時間をかけ、人類は進化した。

(人類史をちょっと学べば誰もがうなずく)

 一時的には逆もどりのようなことがあっても、社会は人間が望む方向にわずかでも変わったきた。

 不公正、不合理…ようするに「正義」に反するモノゴト(たとえば貧富の差、人間のエゴ、ほかの生きもの《人間も含む》への虐待…)も、カタツムリのような歩みであっても、徐々によくなってきた。

 皆無とまではいかなくてもおおむね、「悪」は確実に減り、なくなってきている。

 

 ところが、原子力が「暴発」、人類絶滅となれば、「社会進歩」「正義の実現」どころではない。

 すべてが無、0に戻る。リセットされる。

(その方がよい、というテロのような考えもありますが)

 

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 著者は、ここで「未来の他者」という考え方を提起する。                      

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 個人レベルでは、

「生きていること」は「自分が生きていること」かもしれないが、自分があってこそ世界はあるのかもしれないけれど、そのことと、

「あとは野となれ山となれ」「わが亡きあとに洪水よ来たれ」とはまったく違う。

 

 そして著者は、カントによる「不可解な謎」ということを述べる。

【引用】 

カントによる一つの「不可解な謎」

・ところで、あるところで、カントは、一つの「不可解な謎」として、次のようなことを指摘している。人は、しばしば、その成果として得られる幸福を享受できるのがずっと後世の世代であって、自分自身ではないことがわかっているような骨の折れる仕事にも、堂々と従事する。これは不思議なことではないか、と。確かに、人は、まず自分自身の幸福のために生きているとすると、これは奇妙なことである。…

自分の本性や自然な欲望に反して、無理やりそうしているわけではない。…

・だが、われわれはカントの洞察に従うべきではないだろうか。つまり、人間には、何らかの制限や禁止などによって作為的に方向づけられなくとも、未来の他者へと配慮を向けてしまう本来的な性向があるのではないか、と考えてみるのだ。先に、人は、すでに存在しない他者、つまり死者の意志に縛られる傾向がある、と述べたが、それだけではなく、未来の他者の意志や欲望にも規定される、本源的な傾向があるのではないだろうか。…

 

(カントのいうことは儒家孟子がいう「性善説」、人間はもともと善的存在、他の人によくしたい気もちがあると説くのとよく似ている気がしました) 

 

 まだ来ぬ未来だけど、いつか来るであろう時代の子々・孫々の幸せを願う心情こそが、

たとえ限られた現在という時間・場所に生きていても、先祖代々から子々孫々の人々とともにつながって生きることになる

未来の他者」と連帯することになる。

 

【引用】 

未来の他者はどこにいるのか 

・もし、われわれが、その心情に応じて行動したならば、それは、結果的に未来の他者と連帯したことになるはずだ。なぜならば、その心情に応じた行動とは、未来の他者を救済する行動でもあるからだ。

(もちろんのこと、原子力発電を続けることが未来の人々の幸せを願う心情にならない、救済しないことでは決してありません。

ただ、ほんのわずかでも危険を感じるならば、その危険は排除したほうがいいということ)

 

 

  著者は学者さんなので、他者などと仰々しくおっしゃるけれど、要するに「(赤の)他人」のことだ。

未来の他者」は過去に生きた赤の他人や、現在ではあっても他のところで暮らしている赤の他人でもある。 

 

(前に記事に書いたコスタリカコスタリカには軍隊がないこと、また日本国憲法前文のことを連想した。それらを貫いている精神は、相手、つまり赤の他人を信頼していること。つまりはカントや孟子の立場といっしょです。

ところが現実は、とても情けないが、「人を見たら疑え」「甘い言葉には気をつけろ」)

 

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                             ちりとてちん

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