カメキチの目
(前回の記事の最後で、「横浜市長が…」と書いた。
バクチ、賭けごとにのめり込んで家庭をかえりみなくなった親から面倒を
みてもらえなくなった子どもたちを知っているので、私はIR誘致には絶対反対。
大阪では、もう誘致が決まったかのように「万博」と合わせて、誘致派政党と
経済界が喜んでいる。
IR誘致白紙を公約に当選した横浜市長が公約を破ったわけを述べていた。
「これからますます重くなる福祉・医療の負担を考えると…」
《という意味の発言》を苦渋に満ちた表情でインタービューにこたえていた。
それを聞いていたら、《大阪への誘致をいち早く表明した大阪市長のときは
思わなかったけれど-横浜市長が女性であるということは関係ありません》福祉・
医療の向上という誰もが願う、避けては通れない最重要の行政課題に関連してくる
ことを強く感じた)
個人的にカジノ絶対反対なので、そういう思いが
わいてくるのが意外だった。
「とれるところからとればよい。それもアリか…」
と思ったのだ。
(「とれるところ」といっても、悪徳商法やオレオレ詐欺で騙まし、多額のお金を
お年寄りたちからとるのとは違い、カジノは自治体が胴元となり、法を順守して、
つまりコンプライアンスにのっとり、正々堂々ととる。
客は胴元に、つまり自治体に参加料を支払ってプレイするわけだから、負けて
おカネをすったらため息つきたくなるけれど、参加料の一部は福祉などに
あてられる。
「プレイ《回したルーレットが止まるときのスリル感など》の有り無しが違う
だけ」という理屈で、「自治体宝くじ」や「震災宝くじ」を買うのだって同じ
だというのは《宝くじをときどき買う自分をかばってじゃないけれど》私は屁理屈
だと思う)
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続いて、働いていたときにお世話になった
「日本財団」のことを連想した。
(「日本財団」についてはネット検索が詳しいけれど、簡単にいえば
モーターボート競争、競艇での稼ぎ、利益の一部を日本全国の公的な福祉・
医療・教育などの事業に補助金《一種の寄付》として出し、社会貢献するもの。
競輪、競馬も同じようなことしている《パチンコなどの遊戯業界も》。
賭け事はとうぜん、「勝ち」と同じく「負け」があり、それは「自己責任」の
もとに片づけられるから目だたないけれど、ごく一部の人たちのことであっても
大きな社会的不幸を生みだしている。
こういう事実を想うと、私は「社会貢献」というより《社会の》「尻ぬぐい」だと
思っている。
こんどのカジノというものはルーレットやトランプ《どこかの大統領と重なる》
が浮かび、典型的な「ギャンブル」に間違いない。
「ギャンブル」をただ単に「賭け」といってしまい、広く解釈するなら、宝くじ
なども入ってしまうし、投資なども共通したところがある気がする。
しかし、カジノは単なる賭けごとではなく、おカネを増やすことを目的とした
遊戯、ゲーム。
競馬が馬や騎手、競艇がボートと選手、競輪が自転車と選手などにも心を奪われる
《もちろん、おカネもほしい》のと違い、カジノというのは、プレイ自体の
おもしろさもあるのだろうが、より純粋におカネとの結びつきが濃い。カネが人を
支配しているのではなかろうか。
30年近く前の昔、勤め先の福祉施設の建て替えで、「日本財団」に多額の
補助金をもらった。
競輪や国の補助金という選択肢もあったが《競馬からは施設内部の整備事業で
補助してもらいました》行政(県)の調整で「日本財団」に決まった。
この経緯のなかで、建て替え担当だった私に、「ギャンブルの配分金にこだわる
気もちはわかるが、おカネ自体に責任はない。問題は使われ方」と上司に慰めにも
ならない慰めを言われた)
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ウダウダ…考え思っていたら、「カジノのある国
日本」のように「軍隊のない国日本」もアリうると
思った。
ことしの3.19に「プラビータ!」という記事を
書いたが、そこでのコスタリカと同じように、
日本だって軍隊をなくせると信じる。
(自衛隊は災害救助面のたいせつなはたらきがありなくせないけれど、米軍に
守ってもらっているといって、膨大な予算をアメリカに出しているのをやめれば
どれほど福祉や医療がよくなることだろう。
もちろん、「軍事」面だけではない。不要な《ムダな》お金の使われ方がどれほど
膨大にあることだろう)
軍事予算が減れば、IRだって、カジノだって
呼びこまなくてもいい。
海外のカジノ好きの大富豪におカネを落として
もらわなくても、日本の福祉・医療・教育は大丈夫。
もちろん横浜も。