カメキチの目
(いままでは「この寺のご本尊か…」という気くらいしかなかったのに)
最近、その存在が気になってきた。
不動明王。
近くの山裾には、小さな流れのそばに「山上不動」
というのがおわす。
少し離れた有名な寺にはこれまた有名な「黄不動」
というのが。
もっと遠く離れたところには、もっと有名な大寺の
講堂に、仏の世界を立体的に表したという曼荼羅を
構成する存在として。
(その立体曼荼羅は京都駅近くの東寺にあります《まだの方は是非とも!》。
訪ねるたびに息をのみます。
その大きさに圧倒される奈良の大仏さんの迫力、存在感にも劣らない)
とともに仏教の守護を目的とするといわれており、
それであんな憤怒の形相をしているとのこと。
(恐ろしい顔だちだが、親しみをこめて「お不動さん」と呼ばれる)
----------
関係なく、いまの住まいには金紙を貼った菓子箱を
仏壇にみたて、ネットで買った木製の仏像(大日如来)・
銅製(青銅?)の不動明王像中心に、ガチャガチャ(300円)
の阿修羅、金剛力士像など数体が並ぶ。
私には信者らしい敬虔さは乏しいけれど、仏教者の
はしくれとして、自分なりのお勤め(朝晩、合掌するだけ)
はまめに果たしている。
(大小有名無名に関係なく、神社仏閣は「聖域」と呼ばれているけれど、目には
見えない人々の祈念《なかには怨念の類も》、魂に満ちており、訪れる者を自然と
敬虔な気もちにさせると聞いたことがあります。
地球のどこでも人間は祈る。それを「宗教」というかどうかは別にして、「祈り」
という行為は人間が生きていくうえで本質的なものでしょうか。
ちなみに手作り仏壇。日々の勤行で、ここもわずかながらたまったかもしれない)
それはいいけれど、初めに書いたように、この頃、
不動菩薩が気になってきた。
あの憤怒の形相は、自分の心に向かっている、
と感じた。
それをきっかけに、今までは如来ばかりを意識し
拝んでいたが、お不動さんにも目が向くように
なった。
----------
不動明王は、仏の世界を乱そうとする悪鬼たちを
退治するとのこと。
つまり、われわれ人間の「悪」(それは外面だけでなく、
根本的には「外」を生みだすのは「内」だから、内面も)をただそう
とする。
ときどき静かに、自分の心の底を見つめると、
否が応でもその汚さ、濁り、いやらしさに気づく。
また、この世の不条理、出来事のむごさに唖然と
なり、無力な自分を感じ、むなしい気分におそわれ、
どうだっていいとなげやりになる。
(愛読のrecocaさんが書いておられた、ネットのニュース→「第2の
チェルノブイリ」か?と疑われるロシアが隠し続けている事故。それに
《こっちは新聞、テレビでも詳しい》香港のデモを力で抑え込む中国。
地球規模のアマゾン大火災を本気で消そうとはしないトランプみたいな
ブラジル大統領。挙げればキリがない人間の愚行の数々…。
知りたくなくて、私も「貝になりたい」)
その穏やかな表情で癒しと救いを与えてくれる
仏さんより、白い歯をむき出し、ギロっと真実を
見ぬく目で、こちらを睨みつけるお不動さんのほうに
親しみを覚えるようになった。
(秋田の「ナマハゲ」。子どもの健やかな成長を邪魔する病魔など外敵だけでなく
心に巣くう「弱虫」など内敵をも退治する。退治する相手こそ違えどお不動さんと
似たようなものだと思った。
妖怪などのような民間伝承のため正確な発祥は不明らしいが、ナマハゲは秋田の
男鹿地方であっても、似たような言い伝えや風習は日本各地だけではなく世界中
にあり、人間を見る目の厳しさ、深さは普遍的だとも思った)