カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.10.1 『中国化する日本』

         カメキチの目

 

 (愛読している爽風上々さんのブログで『中国化する日本』の紹介があり、

おもしろそうだったので読みました。

「なに?日本が中国化されようとしているってか。アメリカべったりの日本が

まさか…」と「中国化」という言葉から咄嗟にそんなことを思いましたが、

まったく浅はかでした。

内容全体は爽風上々さんのブログがすばらしいのでこっちをお読みください。

                   ↓

 

sohujojo.hatenablog.com

 学校で習う日本史や世界史は、40数年前と現在と大差ないと思いますが、

大学の歴史学は最先端の知見にもとづいた理論もはさんで授業がすすめられる

ようで、本では随所に、現在の大学レベルでの歴史学の通説、常識述べられ、

中学・高校教科書の知識の見なおしを迫るものがあり、たいへん読み応えが

ありました。

 本の終わりで、二つの大きな問題について著者が述べられていたことが、私には

とても新鮮に感じられ強く印象に残りました。

で、その2点だけを書きます)

 

 一つは、今日的な、避けては通れない外国人労働者

受け入れの問題。

 もう一つは、著者が本で述べられたことから導き

だされる(「まとめ」ではないけれど)一種の結論。

 ともに「提言」ともいえ、日本のこれからの(とくに

中国を意識した)あり方考えさせられた。

 

【引用】

人口開国という選択肢:外国人参政権をまじめに考える

 

参政権は)「他の奴らに取られて減る」という性格のものではなくて、

あげたらバーターになにを得られるかで判断すべきものでしょう。

(二つの文脈から考える)

歴史的な文脈 内地在住の朝鮮・台湾人男性が享受していた参政権を、戦後に

なってとりあげてしまったことへの補償をどうするか、という問題です。…

私はこちらに関しては、謝罪決議なんなりで解決のしようがあろうと思います。…

政治的な謝罪というのもまた、「やったら減るもの」じゃなくて、本来そのことに

よって何か(たとえば道徳的な名声)を得るためになされる一種のバーターです

から、植民地を失う際(戦後処理で、敗戦国となった日本は朝鮮、台湾など植民地

を返還)にこちらに手落ちがあった以上、そこのところを考えていただきたいなと

思います。… 

むしろ私が重要だと思うのは未来志向の文脈で、すでに人口減少社会に入った

日本国をこれ以上「日本人」だけで本当に経営していけるのか、という問題…

要するに、移民労働力を受け入れて、年金の財源も消費税化して納付漏れがない

ようにして、世界中から来た人が日本のお年寄りを支えてくれるしくみに「変革」

しないかぎり…あえて露骨な言い方をすれば、世界の過過剰人口地域の

トップレベルが競って日本に来てくれるのか、それともトップは欧米や中国に

みんないってしまって、アンダークラスの引き受け地域が日本になるのか、

がこの国の将来を左右するかもしれないわけです。…

参政権を含めた、国内の外国人労働者の待遇・環境についても、そういう長期的な

観点から考えるべきなのであって、「あいつらが来たら俺らの取り分が減るから」

式の収縮志向で鎖国モードに入ったら、最後は北朝鮮だけがお友達になるだけです

 

未来ある中国化をめざして:憲法改正をまじめに考える

憲法九条というのは中国化(「普遍的」という意味あい)の産物なのだから

もともと儒教国家の統治理念と同じたぐい、今すぐ実現しないのはあたりまえ、

理想ってのはそんなものと鷹揚にかまえて、実際にはそこそこに安全保障策を

講じておればよいのです…

そしてここに、中国化する世界、および隣国として中国と日本がつきあう際の

ヒントもあるように思います。せっかく、儒教並みに現実離れしているけれども

妙に高邁でスケールの大きい憲法を持っているのだから、この際それを

ジャパニズム」の核にすればいい。独立宣言やゲティスバーグの演説が

アメリカニズム」のコアにあるのと同じです。…

どうせグローバル化した世界が中国みたいな状態なら、その中で日本が中華になる

ことを考えればいいのではないでしょうか。…

だとすれば、その分をたまたま日本に残っている「中国的」な理念で

補ってあげるのが、本当の日中友好であり、また「中国化」する世界で日本の

めざすべき進路ではないか。憲法9条はアメリカの押しつけか」とかいう議論を

ぐだぐだやっているヒマがあったら「いかにして憲法9条を中国に押しつけるか」

を考えるのが、真の意味での憲法改正ではないか、と私は思います。…

その結果として、現憲法にある人権や議会制が中国にも入っていくなら、

万々歳でしょう。それでこそ「東亜協同体」になり「大東亜共栄圏」なりの理念に

初めて現実が伴うことになるでしょう。…

どうせ中国化するなら、こういう明るく前向きな中国化にしたいものだと思います

誇大妄想的で現実性がない?中華思想なんだから、そんなことは気にしないでよい

のだろうと思います。-『聖書』や『コーラン』の布教が半分くらいは剣とともに

あったのに対し、『論語』はおおむね、文の力だけで広まったのですから。… 

( ※ 黒字の部分は私が加えたもの)

 

■[人口開国という選択肢:外国人参政権をまじめに

考える]について

 

 便利・快適の限りなき追求によって、技術の開発・

発展によってスマホなどが生まれた。

 それらとともに、「良否」の問題ではなく、

外国からの人々が、ひと昔と比べても大幅に

増大している。

 観光目的の一時的な来日も増えてはいるが、

いまは、前段階の技能実習とか研修、勉強を含め、

永住・(いつかの)帰国にかかわらず、永続的な労働・

生活目的の来日が確実に増大。

(一方では違法な受け入れがなされ若い外国人が逃亡、あげくの果て

《「入管」から》「違法滞在」とされて強制的に本国送還という現実もある。

 地球は確実に狭く、一つになりつつあることを感じざるをえない。

どうか、「人類皆兄弟」」となる前に先に「人類皆無」となりませんように)

 

 いまは外国人労働者ぬきにしては日本経済が成り

たたない現実にある。

(数年まえ旅で泊まった宿で、日本人顔負けの「おもてなし」を中国からの出稼ぎ

のような若い仲居さんから受けたことがあった。

働いていた児童福祉施設の保護児童の親は若いフィリピンの女性だった)

 こんごますます日本の少子高齢化現象は激しさを

増すといわれている。

 こういう人口問題を抱えたなかにあって、外国人

労働者の受け入れ・共存は必至の課題。

 

 日本は「島国…」と揶揄されるくらい、その地形的

特質で周りから孤立しているので、大陸各国や海洋の

新興島国のように、多様多彩な人種・民族とともに

暮らすという環境、経験が多くの庶民にはなかった。

 それで私自身も、さまざまな経験があっても老いる

まではほとんど自覚することがなかったが、日本が

単一民族ということを疑うようになった。

(とくに朝鮮の人とは、古代から続いた親密な交流があり、「強制連行」など

戦争にからんだ不幸な歴史によって出自が朝鮮民族とはっきりとわかる人以外

どこからどこまで「私は日本人」と言いきれるのだろう《と、私は思う》)

 

 引用文のなかで、

/「やったら減るもの」  /道徳的な名声

/未来志向の文脈  /世界中から来た人が日本の

お年寄りを支えてくれる  /トップは欧米や中国に

みんないってしまって、アンダークラスの引き受け

地域が日本  /参政権含めた、国内の外国人

労働者の待遇・環境についても、そういう長期的な

観点

という言葉・文章がとても胸に響いた。

(9.13の朝7時のNHKニュースで、関東大震災後98年特集をやっていた。

流言飛語による朝鮮や中国の人々の虐殺。

流言飛語がSNSを発信することで《誰でもいつでもどこからでも》容易になった

今日。

外国人労働力がますます増加していく現代こそ、当時の教訓を生かして

いかなければならない、と)

 

■[未来ある中国化をめざして:憲法改正をまじめに

考える]について

 

(ことしの3.19に「プラビータ」という記事を書きましたが)中米の

コスタリカのように日本も軍隊を廃止し、その膨大な

おカネを医療・教育・福祉ほかの民生費にあてたら

どんなに暮らしやすい国になることだろう。

道徳的な名声」は高まり、コスタリカと同じく

世界の見本となるに違いない。

 こういう「未来志向の文脈」において日本の姿を

描きたいものだ。

(そうすると、先日もニュースで年金受給額はいまよりずっと引き下げなければ

制度自体が維持できない聞かされたが、「子や孫たち、大丈夫か?…死ぬに

死ねない」という心配も飛ぶ。

もっとも、「あとは野となれ山となれ!」という考えもありますが)

 

 ここでは以下の言葉・文章がとても胸に響いた。

/ もともと儒教国家の統治理念と同じたぐい

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/「ジャパニズム」の核   /憲法9条は

アメリカの押しつけか」とかいう議論をぐだぐだ

やっているヒマがあったら「いかにして憲法9条を

中国に押しつけるか」  /『聖書』や『コーラン

の布教が半分くらいは剣とともにあったのに対し、

論語』はおおむね、文の力だけで広まった

 

 

 

 

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                         ちりとてちん

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