カメキチの目
(アメリカのこともとてもおもしろく、長くなりますが三つに分けて書きます)
「日本はアメリカの1州みたい」とか
「アメリカの属国」などと、よくいわれる。
韓国、北朝鮮、中国、モンゴルなどの人たちと
見分けがつかないほどそっくりなのに、
(そりゃ確かに「人類は一つ、平等」なのですが、どうもしっくりこない…
と感じるのは私ひとりなのだろうか)
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【引用】
〈21世紀もアメリカの世紀か〉
アメリカは、「モノの近代」としての直接性や大衆性において、
それまでのヨーロッパの帝国主義とは決定的に異なる吸引力を備えていた。
アメリカでは、平等主義や幸福追求、自由主義といった近代の諸観念が、
競争的市場経済に媒介された大量生産方式そのものにおいて具体的に
表現されてきたのである。…
実際、戦後日本を生きた多くの若者たちにとって、こうした(異種混交的な)
「けばけばしい俗悪性」こそが、彼らがアメリカへと吸い寄せられていく理由にも
なってきた。
その意味で、「西洋=ヨーロッパ」がまずは「文明化」を推進するエリートの知で
あったのに対し、「アメリカ」の受容では「下から」の大衆的な通俗性がしばしば
先行していたことを忘れてはならない。
このことは、アメリカがヨーロッパの「植民地」としてまずあったこと、
その文化形成を移民たちのネットワークのなかで成し遂げてきたことと
関係しており、アメリカは一面では、西洋/近代の枠組を越境する要素を最初から
内包していた。
その歴史的軌跡を通じ、「帝国」であると同時に「植民地」でもあるという
二重性を有し、この二重性が、グローバリズムのなかでのこの国の特権的地位を
支えてきた。実際、アメリカニズムの大衆性は、資本主義の大量生産方式と
結びつくだけではなく、ディアスポラ的な移動の経験と結びついている。
この移動性を自らの源泉としている点で、アメリカには端緒から
ある種のグローバル性が内包されてもいたのである。
( 注:下線は私がしたもの)
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〈21世紀もアメリカの世紀か〉
◆ 子どもの頃から「アメリカ」はすぐそばにあった
ケタ外れに近い西洋、外国だった。
モノもそうだけど、1960年代に入ってから初めて
みたテレビでは、アメリカでつくられたドラマや
ショーが目白押しだった。
(「モノも…」と書いたけれど、古い「モノ」しか私たちは知らず、
新しい「モノ」はアメリカ番組を通して知ることになった。
そして、ますますアメリカの魅力に惹かれ、あこがれるのだった
《東南アジアの人々には現代の日本が、かつてのアメリカのように
映っているのだろうか》)
アメリカのテレビ人気番組のひとつに「西部劇」が
あった。
カウボーイや騎兵隊が主人公だ。
すなわち後からの開拓者、白人が「正義」とされ、
先住のネイティブアメリカン(「インディアン」と呼ばれた)は
「悪者」扱いされた。
(グーグル画像より)
「右にならえ!」の集団主義にならされた
日本少年たちのほとんど(私もそのひとり)は、
弓矢を手に、髪を長くたらし、頭に鳥の羽根をつけ、
馬で荒野を駆けめぐってゆく彼らを「カッコいい!」
と称賛するのではなく、「憎きインディアンめ…」
と思わされた。
幼くて、批判的にみるということがまったく
できなかった。
(「学校教育」がどれほど重いものか、それを左右するだけの存在である教師の
人間性を痛感するようになったのは《中学校までは義務教育でもあったし、幼く
白紙のようなものなので》17、8の頃である。反発し中退した)
◆ 当時、大人気だったらしいプレスリー(という歌手)
やロカビリーという音楽だけでなく、大衆的な
(「貴族的」な、というかある程度の教養とおカネがなくては触れることも
むずかしいようなものに対しての「大衆的」。→異種混交的な「けばけばしい
俗悪性」)アメリカ文化への近づきやすさ、ふところの
広さ深さへ、日本の若者もおおいに惹きつけられたに
違いない。
・文化。たとえば音楽。
ジャズなど現代音楽として結実するさまざまな
色あい、要素が、そのルーツとなる国々、地域から
(たとえそれが「奴隷」という形であろうとも→その深い悲しみは、キリスト教
文化とあいまって黒人霊歌として表現されたり)「移民」によって
伝えられた。
アメリカの成りたちはそもそもが「移民」
であること。
(その歴史的事実の重さを、あらためて強く感じた)
「フロンティア」と称して西へ西へと拡大し、今日の
繁栄を築いたわけだが、「移民」が途切れることなく
続いてきたことが、たえずアメリカを更新してきたの
だろう。
建国の普遍的な理念に、世界中の優秀な頭脳が
引き寄せられ、科学技術の発展でモノが豊かになった
だけでなく、さまざまな文化がもたらされ、融合し、
新たな文化が生まれた。
つまりアメリカは、それ自体がグローバル化の派生物 などの部分が
強く印象に残った。