カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.8.17 ①アメリカの言いなり 

日本の領土問題。

戦後70年以上へても一向に進展しない北方領土」返還。

近年になり、とつじょ浮上したかのような尖閣列島」や竹島」の問題

(「尖閣」・「竹島」問題は子どものころ《勉強不足かもしれないが》学校ではなかった。私自身は

老人になってから初めて知った)

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北方領土」はきちんとした歴史的根拠があるから日本の領土。

うぜんの権利として、長年にわたり返還が叫ばれていた。

ところが東西冷戦が終わってもロシアは返してくれない。

しかしロシアが返さないのは仕方のないことだと私は思う。

(「日本は独立国で主体的な外交をしている」と当の日本が強く叫んでも、アメリカ合衆国一州

揶揄される実態は、これほど長い時間がたっても何ら変わらない)

 

東西冷戦が終わり、アメリカの矛先がソ連(はなくなった)から中国に変わっても、

ロシアは社会主義国ではなくなっても日本の返還要求をおいそれ」と

きくわけがない。

(百歩ゆずって返還されたとしても、現実にはたくさんのロシアの人々が住んでおり、

「出ていってくれ」とはとうてい言えない。

「人の道」よりか「国の道」がいちばんの戦前だったら別》

政治的・社会的問題があっても時間をかけて解決し、北方領土は日本とロシア双方が協力・仲よくし

「領土問題」の新たな国際管理モデル《見本》にすればいい)

 

いっぽう、「領土問題」としては1972年に返還(来年は50年という節目)され形だけ

返ってきた沖縄。

(しかし「形から入る」ともいう。膨大なアメリカ軍基地が存在しても、形のうえでは「返還」。

「形」を足がかりにして実質を取りもどすという道はあるし、これはこれとしてとてもたいせつ)

 

きょうは、①「対米自立」です。

 

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本全体の「まえがき」にこうあった。

(本の初め「まえがき」というのは、その本全体の基調を表わしています。

ここでアメリカからの自立を書いておられるのは《「対米自立」は政治の問題ですが、本の内容は

政治以外にわたっている》著者が「自立」ということ、自分で物事を考え判断することのだいじさを

強調されていることのあらわれだと思いました) 

 

(一つは日本はアメリカの属国である」という痛苦な現実をまっすぐ受け止めて

その上で、どうやって国家主権を回復し、国土を回復するかという困難な課題にクールかつリアルに

取り組むという道。

もう一つは…国家主権を持たないのに主権国家のようなふりをし

現代日本を見ていると、どうやら日本人の過半は「ファンタジー自己欺瞞の道」を選ぼう

としているように見えます。…頭からふとんをかぶってふて寝しているような感じです。…

 

ふだんは意識しないけれど、わが国が独立した国家であること、つまり主体的な

自立した外交をしていると、どれだけの国民が思っているだろうか?

 

(日本のマスコミは、国際問題ではいつもいちばんにアメリカの態度、動きを伝えているかのように

みえる。それが当然のことであるかのように《それ以外の選択肢はないかのように》。

おおかたの日本人は、「対米従属」は生まれたときから、気がついたときからこうだった。

気にもとめなかった、「普通」だと思っていた。

《生まれたときから世間は「鬼畜米英」を叫び、それを疑問に思えば「非国民」。何も変わらない》

それが《自分も含めて》多くの日本国民の実態なんだろう。

 

そういうこと思っていたら性の多様性「LGBT」、トランスジェンダー」を想った。

自分の世界しか見えないと、他の世界が想像できなくなる。他のあり様が考えられなくなる。

私は「男性」であり、そのことを自然に受けいれていた。「性の不一致」という事実が存在すること

じたいを近年まで知らず、知らないから、それで悩んでいる人たちの苦しさを想像したことはなかった

 

自分が障害者になってその障害、違和感には馴れ、「馴れる」ことのたいせつさを大いに感じているが

「対米従属」という事実に慣れてはいけないと思う。

 

「対米従属」とあまり関係ないが内田さんは東京オリパラ開催に反対する署名を呼びかけられていた。

オリパラはスポーツであり、直接には国の外交問題ではないが、コロナ禍の今回の開催はスポーツと

政治は別」とはいっても、政府はいちばんだいじなはずの「国民の生命」を守ることを優先しなければ

ならないはず。

ワクチン効果《そもそもワクチンへの強い疑問が厳然とあっても、「例外的」「ごく少数」として

まともに取りあげようともしない》もあり「たぶん大丈夫だろう」「たぶん問題ないだろう」とまるで

賭けごとのように扱い、IOCの圧力もあってけっきょく強行された。

《オリンピックのせいで感染者が急増した、反対にあまり関係なかった、という結果は精度の高い

科学的・医学的予想がされていても、「ふたを開けてみる」まではわからない。

ふたは開いてもしばらくはわからないだろう。

これほどコロナ患者が増えても、大雨の報道もしなければならないしパラリンピックは迫っているわで

コロナ患者急増とオリンピックとの関連までは報道できないのだろうか》

IOCを相手にすることは正確には「外交」といわないのだろうが、菅総理思い切って

「国民の生命をあずかる者としてコロナ禍の開催はいかがなものか」と言ったとしたら、

それでオリパラ開催がなくならなかったとしても、コロナ禍がこれほど広がっても、どれほど多くの

国民が「あれはたいした人物、リーダーだ。見なおした!」と思ったことだろう。

 

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「まえがき」は上記字)のように述べられていましたが、

ここからが①「対米自立」です(「①アメリカの言いなり」は私の表現)

「資本主義末期の国民国家のかたち」2014年)という講演でのこと。

 

■〈対米従属を通じての対米自立

戦後一貫してとってきた国家戦略は「対米従属を通じての対米自立というものです。…

1972年の沖縄施政権変換までの27年間は「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略は

一定のリアリティを持っていた。

 

ボロボロに負けても、それでも戦勝国アメリカの今後の世界を予想した「東西冷戦」戦略を逆手に取り

アメリカの利害もあって天皇(「象徴」にされたけれども)の護持をはかり、自由と民主主義も

受けいれた。

当時からの政治戦略、つまり戦後の27年間はアメリカに有無をいわず従うことを通じ、そのうち真に

「独立」「自立」を果たせばよい、というのは「一定のリアリティを持っていた」。

(内田さんはそういう日本の戦略を「のれん分け」というおもしろい表現をされていた)

しかし、「独立」「自立」の「現実性がしだいに希薄になってゆく」。

 

■〈アメリカは日本にとって軍事的家父長

アメリカは日本にとって軍事的な家父長なので、子どもである日本には「お父さん、ほんとうは何を

考えているの?」と問うことが許されないと思っているのでしょう。

 

アメリカは、沖縄でのアメリカ軍兵士の蛮行は兵士個人の素行の問題なのでそれなりにしっかり

対応するが、辺野古オスプレイ問題など、軍事戦略の問題ではぜったいに日本国民の声をきかない

頑固オヤジなのだ。

米軍基地でアメリカがコソコソしていても「軍事機密」として答えてもらえない。

なるほど「軍事的な家父長」。 

 

■〈国際社会に向けたメッセージを持たない日本

オリバー・ストーンが2013年に来日したときの講演での言葉)日本にはすばらしい文化がある。…

けれども、日本の政治には見るべきものが何もない

 

世界広しといえども、「右翼」を自称している政治勢力が、自国領土内に外国の軍隊が駐留している

ことに対して「国土を返せ」という反基地運動を展開していないのは日本だけです。

 

若いころデモや集会に出て「右翼」と旭日旗見てきた。で、いつも上のようなことを感じていた

「右翼」の人たちはなぜアメリカは沖縄から出ていけ!日本から出ていけ!と叫ばないのだろうか?

 

大人へと成長し、「保守=右翼」「右翼=保守」と短絡的に思ってはいけないことがわかってきた。

被害者でありながら疑われることにもなった松本サリン事件の河野義行さんを親身になって支援した

野中広務さんのような自民党重鎮がおられたことをずいぶん後になり、河野さんご自身の声で知った。

野中さんだけではなく、党派にかかわらず尊敬する方、リーダーにふさわしい人がたくさんおられる。

 

■(「買弁」)いまの日本の指導層は、宗主国アメリカ)への従属的ポーズを通じて、

自己利益を増大させようとしている点において「買弁的」と呼ぶのがふさわしいと僕は思っています。

 

内田さんは、かつては「対米従属を通じての対米自立」という政治戦略があったが、もはや諦めた

としか思えない現代の日本政府では、アメリカの「太鼓持ち」を積極的に演ずることで私腹を肥やす、

自己利益を増大させようとしている点において「買弁的」」と呼ばざるをえないと権力中枢にある

国会議員や高級官僚をこき下ろす。

「買弁」と聞いて遠い昔、歴史の教科書にそういう言葉が載っていたことを思いだしなつかしくなった。

(「買弁」を目にすることがなければ、この言葉を意識することはこれから先もなかっただろう)

 

(「特定機密保護法」)なぜ、…反民主的な法律の制定を強行採決してまで急ぐのか。…

「このような法律がなければアメリカの軍事機密が漏れて、日米の共同的な軍事作戦の支障になる」

ということでした。

アメリカの国益を守るためであれば、日本国民の言論の自由などは抑圧しても構わない

安倍政権はそういう意思表示をしたわけです。…

その「見返り」は何なのか。それが国益でないとすれば、政権の延命とか、政治家や官僚個人の

自己利益の増大といったもの以外にありえない。米国務省はそう判断していると思います。

 

まさに「買弁」! 

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最後に内田さんは、ほんとうに国を愛するとはどういうことか?

自分はこう考えると言われる。 

 

■〈国を立て直す資源は山河と死者

僕が「山河」というのは、言語であり、宗教であり、生活習慣であり、食文化であり、儀礼祭祀であり

あるいは山紫水明の景観です。

 

■〈「そこにないもの」を手がかりにして

日本国憲法の理念は)地上では実現するはずがない。でも、そのような理想を掲げるということは

国のかたちを調えるためには必須なわけです。

何のためにこの国があるのか、自分の国家は何を実現するために存在するのかということを知る

ためには、われわれがそれに向かってゆく…無限消失点なるものをしっかりと持っていなければ

ならない。

 

どんな人の身のまわりにもある「山河」。

どんな人も先祖がいなかったら存在していないという事実。

 

たまたま生まれたところが日本だった。

そこには「日本国憲法」という、人類の行く末を照らしてくれるような

ありがたい憲法がすでにあった。

「押しつけ」であろうが何であろうがかまわない。

日本という国は、この憲法を全人類に広げるために存在しているのだと

本気で思った。

 

〈オマケ〉

日本国憲法」のことを思っていたら、「天皇制」のことも思った。

戦前までの「天皇制」にはもちろん反対だ。

神のような万世一系天皇を持ちだし、己の権力を正当化するというのは(ちょっと違うバージョンが

ときにはあったにしても)この流れで日本の政治の歴史はこの前の戦争まで続いた。

いまの「象徴天皇制」はアメリカなど戦勝国の影響も大きいが、天皇の名で多くの人たちが死んだ反省に

たって生まれたと思う。

「象徴」であっても私は人間平等の理念に反していると信じ、ずっと反対だった。

 

いまも自分自身が皇族に日の丸を振ることは絶対しないし、人がそうしているのを見るのもイヤだけれど

これほどの時間がたっても自分たちの犯した罪を忘れてはならないと、前の天皇ご夫妻(当時は子ども

だったにかかわらず)は、あの戦争で多大な被害をかけたアジアの国々・地域、国内唯一の激戦地だった

沖縄へ謝罪の旅に出かけられ、いまの天皇コロナ禍のなか、国民の命を思うとオリパラ開催はどうか…

と苦しい心中を明かされたと知り、だんだん変わってきた。

 

心中では皇族の何人かくらいは自由に振るまえる国民をうらやましく思っておられるかもしれない

(内心は「クソッ、ホントは〇〇したいのに…」と思っておられても)が、外面が人としての道を

体現した手本のようないまの「象徴天皇制」なら…と思うようになった

(いちばん近くにいる宮中職員が天皇の心中を察し、「こうご心配しておられるようです」という

意味のことを述べられた。これに対し、「それはその宮中職員の思いであって陛下のお心ではない」と

いいわけ、説明する政府。

どっちを向いているのだろう?)

 

 

 

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                          ちりとてちん

 

 

 

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