カメキチの目
『神話の心理学 現代人の生き方のヒント』から。
きょうはその②。終わりです。
①に続いてきょうのも強く考えさせられます。
【引用】
「自分を動かしているのは自分ではない」
つまり、(昔の)人々は自分の住む世界と調和した世界観のなかで生きてきた。…
彼らは自分の内界の住人たちとはうまくつきあっていたのだが、
外部の自然現象にどう対応するかについては、あまり力がなかった。
これに対して、現代人はこの逆をしていると言っていいだろう。
外的なことには上手に対応しているのだが、内的な落ち着きを失ってしまっている
(現代人を支えてくれるような「神話」はないのだろうか)キャンベルは
「物事は(現代においては)神話化されるにはあまりにも早く変化しすぎている…
各個人が自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく必要があります」
これを怠るとどうなるのか。
内界で演じられるべき神々のドラマが、突発的に外在化され、
殺人をはじめとする新聞紙上を賑わす「事件」が生じることになる。…
キャンベルは、「自分を動かしているのは自分ではない、と私たちが気づくのは
思春期です」と言っている。
自分の内界の住人である神々の存在に気づきはじめるのだ。
この厄介な思春期をどう乗り切るのか。
いつ自分の存在に気づいたか
ビッグバンや進化論などによって、それらは相当に説明されている。…
しかし、神話の意味はそのような「自然科学」的なものではないのだ。
神話はあくまで「私」がどう感じ、どう思うのかという点から出発している。
私はこの世に存在している、と気づいたのは、はたしていつだろう。
私を取りまく「世界」があると自覚したのは、いつだったろう。…
それらはまさに、「ことのはじまり」である。…
ここにまず民族のこととして述べたが、各人も考えてみると、
多くの「はじまりのこと」を体験し、あるいは、体験させられ生きている。
そもそも自分が「意識」するようになったのは、いつどのようにしてだろう。
そのようなまったくの最初の起源について考えるのはむずかしいとしても、
世界の「見方」が変わった、ここから新しい認識を持った、
ということは誰にもあると、思われる。
(注:()、赤字はこちらでしました)
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たとえ荒唐無稽な物語であっても、読み方を深く
すれば、世界各地のすべての神話は(突きつめれば)
人間は自然を崇拝・畏敬しなければならない、
人間はこうあらねばならないと語っているのだろう。
生存するために最低限の必要な「知識」「科学」
しかなかった昔は、外界(自然界)と内界(人間の内面)の
「不思議」と折りあいをつけるためには、「神話」
が大きな役割を果たしたに違いない。
「そうするがよい」「そのようにしなさい」と神さまに言ってほしい。
でなければ、とても落ちついて静かに暮らせやしない。
(シャーマンや《若い娘ではない》巫女の)お告げは神の声に
聴こえたのに違いない。
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河合さんの本に出あうまでは、(子ども時代を除いて)
私は「神話」を意識するようなこともなかった。
真面目に神話を考えたことなどなかった。
科学技術万能の現代。
考えれば「科学技術万能」も、メタ思考(より大きな文脈からみれば)では、
「神話」かもしれない。
大昔からの「神話」という物語は非科学的だと
ファンタジーとしてしか語られなくなった。
しかし、
神話はあくまで「私」がどう感じ、どう思うのかという点から出発している。
「私の人生」は、「私」を抜きしては語れない。
そもそも在りえない。
自分の「神話」を創る。これは おもしろそう。
「神話」だから多少は荒唐無稽、大げさなことがあってもかまわないだろう。
これは自分の物語なので、主人公はもちろん自分。