『絶望を生きる哲学‐池田昌子の言葉』という本を読んだ。
著者、池田昌子さんは47歳という若さで逝かれた文筆家。
題名が「哲学」となっているが、哲学的な用語はいっさいない。
なかに、『14歳からの哲学』という著作からの言葉もあり、子ども向けに
書かれたものとはいえ、ものごとを「そもそも」と根本から問うてみることの
たいせつさが 強く伝わってきた。
珠玉のような人生観がズバリ述べられた本。
強く印象に残った四つのうち、きょうは二つを書きます。
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① 便利は不便
【引用】
人は本当に気がついていないのであろうか。
次々に出現する最新機器によって、…どれほど不便になっているものか。
…
便利になれば時間が節約される。
その節約された時間を何に使うかというと、やっぱりその仕事をする…
ゆえに、便利になることによって、仕事はより忙しくなっているはずである。
(「仕事」は狭い意味でだけでなく、広く生活全般のこと)
なければないですんでいたものが、なければすまなくなるのだから、
便利とは不便なものだ。
今さらどうしようもないけれど、何のための便利さなのかを、
各々考えてみるのもいいだろう。人生の時間は有限なのである。
(注:(黒字の書き加え)と赤太字とはこちらでしました)
個人としては共感しても、社会の現実は便利(快適)
の方向に進む。
いまのあり方がいつまでも続くわけがないとわかっても、
「なければないですんでいたものが、なければすまな」いではいかないのだ
(「今さらどうしようもな」くても)。
たとえば、人類が引き起こし他の生物も道連れにする「地球温暖化」は、
生き残りという存在自体の持続可能性がむずかしくなってきたのに、
その解決のために私たちの生活が少し不便になっても仕方ないとはならない。
温暖化と密接不可分な「エネルギー問題」もちょっと不自由な暮らしになっても
我慢しようとはならない。
科学技術の限りなき進展は(人類が続く限りは)続き、それが「解決」といえるか
どうかはわからないが、「宇宙への進出(地球からの脱出)」とかなんとかで
ともかく切り抜けるだろう。
私個人にできることは、「何のための便利さなのかを、各々考えてみる…。
人生の時間は有限なのである」
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② 大変な格差社会
【引用】
(ほとんどの人は平和的で穏やかだが、ごくごく一部でありはしても、
自分の欲望のためなら他人にウソをつき陥れても平気な人がいる)
そのような品性であるというまさにそのことにおいて、人間は不平等なのである。
上品、下品の格差は明らかと言える。
なるほど職業に貴賤は存在しないが、人間には明らかに貴賤が存在する。
金の多寡など僅差であるが、品格の差は雲泥である。
あの人は下品階級の人だ。うんと差別的に人を見るようにしたい。
(注:(黒字の書き加え)と赤字はこちらでしました)
「平等(「差別」)」「格差」ということ。
こんな見方もあったのかと驚いた。
「格差」というと物質的なものしか思いうかべなかったけれど、
「もっているモノ」ではなく、その人の人柄、備えている「人間性」というか
「品格」という(簡素で目立たないがゆえに意識して目を向けなければならない)
見落としがちなたいせつな姿を思った。
これはホントの話だ。
「老いて人は丸くなる」というけれど、私にはまったく当たっていない。
老いて、社会、外に向かって腹の立つことが増え、立ち方の程度も増した。
(「キレる老人」として進化中)
そんな自分が恐ろしく、不安になることがあるくらいだ。
ツレはときどき言う「そんな醜い言い方をして…下劣な人になったみたい」
もともと自分が上品な人間とは決して思っていないが、いちばん身近な人から
そう言われると(ショックとまではいかなくても)傷つく。
いまさら品格が漂うはずはないが、せめて下品と思われないようにしたい。