カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.9.7 生物多様性はほんとうに必要なのか?

愛読する爽風上々さんのブログで紹介された本

『〈正義〉の生物学 トキやパンダを絶滅から守るべきか』 山田俊弘・著

読んだ。

読んで満足まんぞく…、ほんとうによかった。

 

本の内容は、爽風上々さんのブログ

sohujojo.hatenablog.com

がすばらしいので、上をクリックしてください。

 

以下は私の感想です。

特に考えさせられた二点、①「正義」と②「感性」について書きます。

 

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① 正義

書名にもある〈正義〉には、読み終えておおきな衝撃をうけた。

(爽風上々さんの感想の生物学というよりは倫理学の問題のようでした」強く思われました)

 

本は副題として「トキやパンダを絶滅から守るべきか」とあり、

生物多様性」を重んじ守ることのたいせつさ(生物の保全の必要性)を、

たいせつではない、不必要だという反論をたて、両方の言いぶんを比べて闘わす

思考実験)ことにより、最後はトキやパンダを絶滅から守るべきと結論する

(最後になって正義という「倫理」が出てくるのです)

 

ところで、正義」という価値は絶対的なものでなく、そこでいわれている文脈の

なかで変わる。相対的なもの。

よくいわれるように、いまここでは「正義」とされても、時代や社会が変われば

反対の価値、「悪」とされることもある。

 

しかし、最後まで読んで、2021年の日本に生きている者として、自分の胸に

正義「善」がしっくりときた、感じられた。

だから私も「トキやパンダを絶滅から守」ろう。

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  (人形・ぬいぐるみではない本物を数年前にみて《大げさでなく》感動した。そのときのもの)


(人間、人類の欲望がほかの生きものを次からつぎへと絶滅に追いやった。

そう思うと自分も人間・人類の一員であってもイヤになる。

トキやパンダなら絶滅させずにすんでも、ほかの目だたぬ生きものも…となると無力感におそわれる。

しかし、思った。↓

戦後の日本は政府・政権はコロコロ変わってもどんな戦争もいちどもしてこなかった。

自衛隊れっきとした軍隊なのに《災害などで数えきれないほどの人命救助さえこそすれ》

一人も殺していない。

政権は、私たち国民の反戦」の声で、したくてもできなかったのだ。

そういう声ならだれでも上げられそうだ)

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② 感性

自分の胸にしっくりときた、感じられた」述べたけれど、感性

つまりセンスの問題がいちばん肝心なことだと思う。

(本の初め、序章のようなところで著者もセンスのたいせつさに強くふれられていた)

 

「感性」は生きものにいちばんといえるほどたいせつなものに違いない。

「正義」という観念も「感性」で裏づけされていなければ意味がない。

(肉食動物が草食動物の弱った個体子どもを襲う場面をテレビでみて、いくら頭で「弱肉強食だから

しかたない。ライオン家族も食っていかなければならないのだ」《「弱肉強食」は同じ種内の個体の

生存競争をいうのであり、異なる種のあいだではいわない。だからここでは使いかたが誤っています》

とわかってはいても「かわいそう…」と感じる。

夕食で自分がたまに肉を食べるときも感じるので、蔬菜主義者になればいいけれど、「植物も立派な

生きもの」といいわけしてならず、欧米人のクジラやイルカの保全・保護を聞くと「自分たちが捕り

つくしておいて何と手前かってなこと…を」「なんで牛や豚、鶏はいいのだ?」と理屈が頭をかすめる

 

理屈じゃなく、「かわいそう…」と感じることは《「かわいい」と感じることも》いのちを考えるとき

いちばんだいじだと信じる

 

生物多様性、生物保全のたいせつさに反対の立場から「なんでそうなの?」

「なんで?なんで?…」と理詰めで問うていくと、キリがないがないほど理屈は

たてられる。

(「なんで人を殺してはいけないか?」に正確な答えはあるかもしれない。

しかし頭で答えが出せなくても胸に手をあてればわかる)

 

誤解をおそれずいえば「正義」より「感性」「心」

 

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〈オマケ〉

話① 【引用】第2章 ヒトがもたらした絶滅の歴史 

ヒトの拡散とメガファウナ(大型の動物と思ってください)の絶滅

ヒトの生息地であったアフリカでは現在も、ゾウやサイ、カバなど、体重が1000キログラムを超える

メガファウナが生きています

(ヒトが誕生したアフリカ大陸では、ヒトが地球各地に出ていって、そこでマンモスなど、そこだけに

生息していたのメガファウナを絶滅させた。しかし、人類が生まれたアフリカだけはメガファウナ

多く生きのこった。

ここを読み、「なぜアフリカだけ、ゾウやキリンやカバやサイ…大きいのがいっぱいいるんだろう?」

長年かかえていた《といってもたまに思いだしてた》疑問がとけて嬉しくなった)

 

話② 【引用】苦痛を感じるか?‐ベンサム流の平等

ベンサムは、各人は一人であり、一人以下でもなければ一人以上でもない、と平等の本質を表現

何が“一人”に値する基準となりえるのかと考えました。そして、理性や会話の能力ではなく、

苦痛を感じることができるかどうかが唯一の基準だ、という考えにたどりつきました。…

ベンサムといえば「最大多数の最大幸福」という功利主義。そういう表面的なことしか

思いうかばなかった。しかし、こんな粋なこと、すばらしいことをいっているんだと見なおした)

 

話③ 【引用】「バイオフィリア仮説

ヒトには元来、ほかの生物に対して関心と好意を抱く性質‐バイオフィリア‐が備わっている

(という考え。「性善説」みたいでいいなぁと思った。

しかし、世間でおきるさまざまな悲惨な出来事を想うと、「バイオフィリア仮説」はもちろん、

性善説」も仮説だと思わざるをえなくなる。

しかし、社会性昆虫のアリの世界では働きアリの20%くらいはなにもしないというし…。

しかし、人間はアリではないと思いたい)

 

 

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                             ちりとてちん

 

 

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