カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.5.13 ホモ・モビリタス

生きるということは「今・ここ」にいる自分を生きること。

なので、「今・ここ」をたいせつに生きなければならないのだ。

 

と、エラそうなことは言えるのは気もちが落ちついているときだけのこと。

ケンカで感情がたかぶっているとか心配事があるときなど、情緒不安定なとき

ダメに決まっている。

自分を失ない、心はしどろもどろ…。

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長い人生をふり返ってみればそんな心、気もちの乱れは無数にあった。

(「どうにでもなれ!」と自棄になったことも一度や二度どころではない)

 

心や気もちの変化、移り変わりはあたり前のこと。

取りたててどうのこうのと言うものではないだろうけれど、

「今・ここ」の心の乱れはいつまでたってもほんとうにイヤなもの。

(どうしてそんなにイヤなのかといえば、長く生きてきたのに「心の成長」が感じられない自分に

愕然とするから)

 

「凡人だから仕方ない」といってしまえばそれまでよ。

だが、ちょっとは「成長」「発達」を感じたい。

このまま死んでは情けない)

 

世には不思議と感じることはたくさんあるけれど、人の心、気もちもそうだ。

その不思議を知って反省、実践し、「成長」を少しでも実感したい。

 

ということで、心の不思議を知るヒントになることがあればと、

書名に『ヒトの心』とある本を読んだ

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『ヒトの心はどう進化したのか―狩猟採集生活が生んだもの』  鈴木光太郎・著

 

                            

 

本は「ヒトの心」そのものについてより、心も生活の影響の一つとして、

副題の狩猟採集生活が生んだもの」狩猟採集生活」が人類に及ぼした影響

ついて書かれていた。

 

気が遠くなるぐらいの長い間の狩猟採集生活」。

ほかの生きものを食べて自らを維持し、子孫を残し、人類をずっと続けていく。

【引用】狩りをし始めるのは、250万年前以降おそらく簡単な石器をもつようになってからだろう。

そして、ホモ・サピエンスの出現以降(25万年前以降)とくに石器が多様化した5万年前以降―骨角器

返しのついた尖頭器、弓と矢、投槍器といったすぐれた飛び道具も登場してから―狩りは本格化し、

用意周到で計画的なものになった」

そういう移動と狩猟採集生活という想像もつかない長い時間を経るなかで、心も

いま在るようにつくられてきた。

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「文明時代」は定住と農耕や牧畜の開始にはじまり、近代の工業社会を経て、

現代、便利・快適な生活の現代社会へと続く歴史の大まかな流れは知っていたが

○○時代の次は◎◎ 時代へという「向き」「流れ」だけの単純な認識だけだった。

〇…◎などの中身、またその時代の期間、長さへのこだわり、問題意識は私には

なかった。

(考えれば「長さへのこだわり」はいまの場合、すごくたいせつな事実なのだ。

猟採集生活」に比べれば屁のようにはかない「文明生活」)

 

本を読むなかで、現代人の能力・資質のほとんどは、狩猟採集時代

時間の積み重ねのなかで形作られてきたことを痛感し、納得した。

 

     

     

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本は新書ながら中身が濃く、わかりやすく、とてもおもしろかった。

通俗的な人類史ではなく、書名にあるように(現代の人類「ホモサピエンス」の祖先の原人

旧人もふくめ、想像力が追いつかない長い時間の)狩猟採集生活に着眼している。

 

そのなかの三つのことについてだけ書きます。

①ホモ・モビリタス

②バイオフィリア

ホモ・ルーデンス

(きょうは①)

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① モ・モビリタスーすべての大陸へ

(「ホモ・モビリタス」とは人類の移動面に着眼したものです。国立民族学博物館のHPによれば

人類はアフリカ大陸で誕生した後、数十万年をかけてユーラシア、アジア、南北アメリカ

そしてオセアニアへと拡散し、居住を行ってきた。

これほど広く地球上に拡散移動した動物はおらず、人類が「ホモ・モビリタス」とも呼ばれる所以である。

また、現代社会においても、人類は世界各地で様々な方法や目的で移動を続けている」とのこと)

 

いまでは定説、常識とまでなっている「人類の先祖はアフリカ」「アフリカを出て

世界各地に散らばった(旅して、その旅先にとどまっただろう)」ということを、40代半ば

テレビ番組『グレートジャーニー』で初めて知って驚いた。

(子どものころ、世界にはさまざまな国・地域があることを教わり、地球はどこでも日本と同じような

温暖な気候、暮らしやすい土地とは限らないと知った。

大人になって、人間は生まれたところがどこか《国や地域、時代のような社会的な面》だけでなく、

親や家のような個人的なことを含めて、偶然、運命的なことからは逃れられないことを自覚した。

自分に属するそれらを比較しない限り欲望は生まれず、世界じゅうどこでも平和で満足、幸福だった

のだろう。

「グレートジャーニー」、世界じゅうに人類が散らばり拡散したことで終わりになればよかったのに。

「終わり」にならなかったのなら、そのままで、それぞれの地域、世界だけで完結、歴史が進んだら

よかったのに…

 

著者はこの本で、アフリカを出発したホモ・サピエンスが新しい土地に定住し満足

したかというと(衣食住に満足するたいていの人々はそうではあっても)部の人たちは

新天地(フロンティア)を求めて移動しようとしたのではないか、という。

よりすばらしい生活、世界を求めて。

(「フロンティア」は《ホモ・サピエンスは脳も進化させたので》さまざまな発見・発明すること、

生活そのものの向上にも及んだ。

人々の好奇心、探求心、夢や理想を追求する力、努力により世界は広がった)

     

【引用】

好奇心旺盛な動物

近年、好奇心(新奇なものを探索する動機)に関係する遺伝子がヒトでは多型だということが

わかってきている。つまり、いくつものタイプがあって、個人差が大きいのだ

 

なるほど!

ベンチャー」とか「起業」など、たいそうなところまではいかなくとも、世には

「なんでわざわざそんな面倒くさい、努力のいることするかなぁ?」と感嘆する

ような人がいる。

私は怠惰な人間で、「好奇心…に関係する遺伝子がヒトでは多型…」であり

いくつものタイプがあって、個人差が大きい」ので、衣食住に満足さえして

おれば新たなことには挑戦しないタイプであることがあらためてよくわかった。

(また臆病だとも思う。必要を感じなかったら生活を変えない。生活面では私はまったく「保守的

なのだろう《「保守的」といえば聞こえがよいけれど、要は現状を変えるのが面倒くさいだけのこと)

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〈オマケ〉

著者は「旅とコスト」という話で、人間の「ほかのところに行ってみたいという欲求はとても強く、

これはだれにも止められない」と述べている。

未だ自分が知らないところに行ってみたい、旅したいという気もちは止まないという。

それは人間の本質のようなもの(「ホモ・サピエンス」は「ホモ・モビリタス」でもあるのだ)、

いくら移動手段としての車や電車(とくに飛行機は膨大)に燃料(エネルギー)がかかり、温暖化など

危惧されようが、ホモ・サピエンス」は「賢い人間」なので科学技術で乗り越える(とまでは著者は

述べていません)。

旅好き人間として考えさせられた。

 

 

 

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                              ちりとてちん

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