『平等バカ』(池田清彦・著)という本を読んだ。
言葉ではかんたんに言える「平等」。
私は心地よい言葉に酔うことがあるので気をつけなければならないこと、そして、
「平等」を口にするときは慎重でなければならないことを思った。
第4章に「平等より大事なのは多様性」とあり、いちばん心に残った。
ちなみに本は、第1章が「コロナ禍と平等主義」、第2章「が見せかけの平等が不公平を生む」
第3章が「人間はもともと不平等」、そして第4章、おしまいが第5章で「『平等バカ』からの脱却」。
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大正末期から昭和のはじめにかけて生き、26歳という若さで死去した金子みすゞ
という童謡詩人の「私と小鳥と鈴と」という詩
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい
を、知ったのは40代ころだった。
「大漁」という詩もあるが、ともに衝撃をうけた。
私が知っているほんの少しの詩の一つ。
(すぐうかぶのは、八木重吉の「蟲」と谷川俊太郎の「生きる」くらい)
たとえ少しでも、どれもが生きるエネルギーをいっぱい与えてくれた。
いまでは「多様性」ときくと、私はこの詩を想うようになった。
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「多様性」について。
【引用】
「第4章 平等より大事なのは多様性
〈新しい資本主義には頭脳の多様性が欠かせない〉
短期的な繁栄という意味では遺伝的多様性のないほうに軍配が上がる。
環境に適応している限りは、繁栄自体にコストもかからず、リスクも低いクローンのほうが競争には
強いのだ。…→(勤勉、従順)
…
〈多様な個性の存在が1+1を10にする〉
コントロールする側の観点では、多様性などないほうがいいに決まっているからだ。
…
〈人間の生きる道は千差万別〉
学校という制度にしばられているぶん、子どもは大人以上にコントロールしやすいので、
そうやって権力の意のままになる国民を養成しようといるのかもしれないな。
人生にとってもっとも重要なのは「偶然」だ」
(注:「」〈〉→()、赤字太字太字はこっちでしました。以下の【引用】も同じ)
本でここを読んだときは気がつかなかったが、岸田首相のいう「新しい資本主義」を思いだした。
いろいろな、つまり多様な考えをたたかわして(自由市場のように)、初めから「成長主義」一本やり
(独占市場のように)はしないでほしい。
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「平等」も「多様性」もそれほどむずかしくない言葉なので、
私はあまり深く考えないで使っていた。
だけど、この本を読んで、ちょっと突っこんで考えてみなければならない
と感じた。
著者は大学の生物学の先生。解剖学の養老猛さんのように専門は自然科学なのに、「身体」「動物」を
もとにして人間や社会もとらえようとされる(もちろん、生物学的次元ではない)。
よく問題にされる(私もする)「格差」について、これも「多様性」の一つとして
真面目にあつかえるのか?と「ちょっと突っこんで考えて」みた。
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「格差」の存在を肯定する立場からは、個人の(いわゆる)「生まれ」や「能力」
などは決まっており(遺伝的な生物学的形質、親の資質、どういう家、地域に生まれたかなど
だけではなく、その後の人生をつうじての、個人の努力だけではいかんともしがたいとされている
「偶然」や「ウン」などを含めて)、結果として「格差」が生じるのは避けられない
という。それは自然なことだという。
こういうみかた・考えかたを、科学技術文明のこんなに発達した現代でもしている
ようでは、人類の未来はしれている。
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もう一つ。
「第5章「平等バカ」からの脱却」に述べられていたことに深くうなずいた。
【引用】
「〈「不平等」を是正しないシステムの完成〉
餓死するほど困窮している人がいるなかで、自分だけが平気で贅沢をする。
そんなことをする動物は、人間しかいないのではないか」
たくさんの生きものを相手にしてきた著者の言葉。