「タテマエ」と「ホンネ」ということを、
愛読している爽風上々さんのブログ、『貝と羊の中国人』(加藤徹)という本の
紹介記事から強く感じた。
書名の「貝と羊」がとてもおもしろく感じられて読んだ。
(上の爽風上々さんのブログが本全体について詳しくわかりやすいのでクリックしてください)
中国の人については前にも、別な本を読んでの感想文を書いたことがあった。
(2021.2.26から3回連続記事「爆買い中国人」。「中国人はなぜ声が大きいのか?」など生活慣習、
社交、風俗など外から目に見えて感じられやすいものを「Q&A」形式で著したもの)
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本は、そういう外面的なものが形づくられた理由・背景を、広大な中国の
歴史と文化から解きあかしたもの。
漢字、儒教、仏教、道教など古くから日本の文化に大きな影響をあたえている
なじみ深いものもよく出て、叙述もわかりやすく、読んでほんとうによかった。
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書名の「貝」と「羊」は漢字の部首をさしている。
それぞれ中国古代の殷(→貝)と周(→羊)の文化を象徴し、この大きな二つの流れが
中国の全歴史をつらぬいていると、著者は説く。
(ネット検索で「貝」つく漢字を見ると、起源は貨幣として使われたのが「貝」ということで、
「買う」「賄う」「貧しい」「貯める」「貢ぐ」「贈る」などお金に絡んだもの、そのお金から
派生したかのような「賊」「賭」「賑」など。
「羊」のつく漢字にはいかにもヒツジらしい「着」「群」もありますが、「美」「義」「羞」も
ありおもしろかった)
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第一章「貝の文化 羊の文化」にはこうあった。
【引用】
「貝の文化→殷人的・農耕民族的 多神教的 有形の財を重んじる 道教的
羊の文化→周人的・遊牧民的 一神教的 無形の「主義」を重んじる 儒教的
…
〈「貝」と「羊」の使い分け〉
現代中国人は、太古の二つの祖先から、ホンネとしての貝の文化と、タテマエとしての羊の文化の、
両方を受け継いでいる。異質の二つの性向が、どちらも彼らの血肉となっている
→(ホンネとタテマエをうまく使い分けることが中国人の強みとなっている)
…
今日の中国共産党も、
タテマエとしての共産主義(羊の文化)と、ホンネとしての経済建設(貝の文化)の双方を、
たくみに使い分ける」
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学校で習っただけの「殷」や「周」をこの歳で聞くとは思いもしなかった。
それも、「タテマエ」「ホンネ」の話として。
「貝」(ホンネとしての有形の財→お金=経済)と「羊」(タテマエとしての無形の「主義」→精神
心=徳・倫理)を必要に応じて縦横に使いこなすことから、中国(現代をふくめ)を
理解しようとする。
私としては初めて知る著者の視点に新鮮な刺激をうけた。
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「ホンネとしての貝の文化と、タテマエとしての羊の文化」ということは、
「本音としての経済と建前としての政治」ということか。
しかし、ホンネはタテマエに勝る。
現代中国は、「先に富める、成功できる者からそうなろう」と経済(貝)改革、
資本主義化をだいたんに進めた鄧小平時代から、目をみはる成功をおさめ、
そのうち日本を抜いた。
(同時に政治《羊》の民主主義化は進めなかったので、経済的な国民格差もだんぜん日本を抜いた)
経済的な欲望(「ホンネ」)のほうが根源的で、政治の民主主義(「タテマエ」)を
圧倒する。
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それにしても、「資本主義」というものは人間の「ホンネ」にとてもうまくマッチ
しているものだとつくづく思った。
中国のような社会主義、共産党の独裁という政治形態をものみ込む、人間には
普遍的なものかと感心せざるをえない。
(「資本」という元手があれば最強に生きられるのが資本主義社会。
政治形態として社会主義をうたっていても経済は資本主義の中国。
《日本のあっちこっちが中国資本で買い占められていると聞く》)
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「ホンネ」と「タテマエ」。
本を読み、社会のことだけでなく自分の問題としてみなければならないと思った。
〈オマケ〉
「郷愁心~のすたるじい」は100パーセントどころか200も1000も「ホンネ」ですばらしい歌です。
「海援隊」の歌。作詞は武田鉄矢(この人の詩はほんとうに心に響く)。
この3人のフォークソンググループの誕生は昭和。いまも解散することなく続いています。
クリックしてみてください。
じっさいの歌は、同じくネットですぐに聴けます。
(ユーチューブの画像にはなかったので貼り付けはできませんでした)