きょうは東日本大震災から11年目。
11年目の3月11日だ。
あの大災害を受けざるを得なかった人々は、いまのウクライナの惨劇を
どのように感じ、受けとめておられるだろうか。
大地震、大津波という自然現象ではなく、戦争という「想定外」の人工現象。
(「11」は日本語では「いい」。「良い」であり「好い」。
東日本大震災の3.11のときには先に「9.11」もあったけれど《私だけかもしれないが》
「11」ということを特に意識しなかった。
けれども、11年目のロシア・プーチンによるウクライナへの一方的な攻撃、戦争に、
そう思いたくなくても悪いイメージが重なり、「11」に謝りたくなった)
原子力発電所が、あのときは(望まぬ)「事故」として放射能漏れなどの
大被害が結果として発生してしまったが、こんどは(望んで)攻撃対象にされ
「事件」となろうとしている。
と、きょうの日記帳は一日分の枠を大幅にはみだして書く。
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日記
昔(障害者になってからの15年間)の日記帳をパソコンに抜き書き(打ち)している。
15年間といえば(毎日まじめにつけていなくても)長い。
はじめはバカ丁寧に一日のこらず写していたが、目も指の動きも悪くキーボードを
打ちまちがえてばかりでイラつくので日を選び、月に5、6日にした。
それでも年に70日前後あるが、「救い」は一日分がきわめて短いこと。
(日記帳は書店で売ってある出来あいの製品。はじめは「3年」で、次から続けて「5年」ものにした。
製品はどちらも1日の欄はわずかで、「きょうは〇〇をした。△△があった。▢▢と思った」くらいしか
書けず、字を書きづらい私にはちょうどいい長さだった。
《超短文なのでパソコンへの抜き書きもチョロい》
ところで製品の日記帳の最大の利点は、開いたページはみな同じ日なので、そのページに3年、5年分の
記録が時を超え目の前に現れ、過去がよみがえることである。
近い過去へのタイムスリップがごく簡単にできるのだ。
《こういう日記の楽しみ方をこれまで知らなかった》
障害者になる前、とくに若いころは「悩み」を持ち「問題意識」感じた日だけ、納得できるまで
ダラダラと書いていた。
《日記帳は大学ノート。好きなだけ自由に書いていた。
いま思えば、それは自分にとって、ブログの「先駆け」だったような気がする)
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この作業のため、日記をふり返って読むことになった。
手書きなので判読に苦労したけれど、読むことになってホントよかった。
こういうことがなかったら、その時「つける」だけをして、「つけた」その時を
(よほど印象に残ったこと以外)ふり返り、思いだすことはなかっただろうと。
悲しく辛いイヤな思い出は、時間が薄めてくれている。
楽しく嬉しい思い出は、何倍にも濃くなって返ってくる。
「ふり返える」ことの大事に思いあたった。
(パソコンへの抜き書きには、いずれはその時々の写真をいくつか選んで添付、挿入するつもり。
写真で過去の記憶の確かさと不確かさを味わいたい。
「やっぱり!…」「忘れていたか!…」のちょっとドキドキ感を味わいたい。
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ブログ
(毎日、ほぼ毎日、自分で決めた定期の日、ときどき思い出したように不定期な日、と)
発信はいろいろだけど、「ブログ」とは?とあるネットサイトで検索したら
【引用】「日記風の記事を誰でも簡単に書けるようにしたサービスを利用したウェブサイトの一種」
とあった。
つまり、「パソコン日記」というわけだ。
手書きするふつうの日記と同じくブログするしないは自由な行為だけど、
自らの意思によりあえて行い、しかも持続するということは(別に「継続は力なり」と
自己称賛しなくとも)自信につながる。
(もちろん、やめたくなったらやめるまでのこと。
「自信につながる」といったが、それは続けている当事者だけにとってのこと。)
「自信をもつ」ということはほんとうに大事なことだと思う。
(それが昂じ「自惚れ」になってはいけないけれど、ほどほどの自信をもつことはとてもたいせつ。
客観的には自分はどうなのか?、他人の目にはどう映っているのか?と気にはなるけれども、
気にしながらも「自分はこれでいい」のダ)
「自信」とは自分を信じること。
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「毎日、ほぼ毎日」の方には頭がさがってしかたがありません。
突然の事故に遭って一巻の終わりだったかもしれないわが人生。
障害が遺ったとはいえ生き残れ、一日いちにちを新鮮な気もちで、大事に
ていねいに生きなければならないと思っているのに、いつの間にか、
日記のあれほど小さな欄でもきょうもきのうとたいして変わらなかった…と
空白のままの日が目だつようになった。