前の記事に、四つの言葉を前・後の2回に分けて書きます、と言いましたが、
二つ増えたので前・中・後にします。
③「収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道
を断たれるという、
思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、
できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしか
ない状況にあっても、
人は内に秘めた愛する人のまなざしや
愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、
満たされることができるのだ」
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※(フランクルは結婚まもない妻と別れわかれに収容された《のちに死ぬ》)
妻に限らず、父でも母でも、心の底からだいじに思う人がいれば、その人のことを
イメージするだけで人は苦難に耐えられるということだ。
「心の底からだいじに思う人」「愛する人」の顔かたち、姿をイメージする、心に
思いうかべることが生きぬく力、生きぬくエネルギーになるということ。
辛さの極限的にあって絞りだされたようなフランクルの言葉を、
いま安穏と暮らしていける幸福な私は、想像する、
イメージしてみなければならないと思った。
「イメージ」「想像」「心に思いうかべる」…ことのたいせつさをあらためて
強く感じた。
そういえば、小さかったとき、貧しい暮らしにあっても祖母は朝晩かかすことなく
仏壇に飯を供え、合掌し、呟くように念仏を唱えていた。
心に阿弥陀仏を想い描いていたに違いない。
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④「輝ける日々‐それが過ぎ去ったからといって
泣くのではなく、それがあったことに、ほほえもう」
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「輝ける日々」の「輝く」というのは、充実していたとか幸せに感じたということ
だろう。
そういう過去が戻ってこないことを悲しむのではなく、そんなステキな思い出を
もった、残した事実を喜ぼうということだろうか。
そのことでこと思ったこと
・たまたま、愛読しているお若い方が、ブログに連用日記のことを書いておられ、
(ブログ自体が広い意味で日記ですが)考えさせられた。
日記については漠然とは思っていたが、その意義のようなことを真面目に考えて
みようと思ったことはなかった。
かつて試みてなんども失敗した禁煙(完全にやめてからもう〇〇年)のように、
その年の元日に「今年こそは…」と書きはじめたものの三日坊主に終わるのが少年
だったころから常だった。
若いころ(中年も)は日記といえば、悩んだときや問題を抱えたときに解決・納得
を目的に、ともかく心を整理したくて大学ノートに向かい、好きなだけ書いた。
が、歳をとるとそういうエネルギーはなくなった、というか若いとき悩んだこと、
問題意識をもったことの中身が変化してきて(あるいは悩みや問題の重さが減り)
根をつめて長々と書くことはなくなってきた。
代わり(といっては何いですが)に、初めて「連用日記」というものを知り、
使うようになった。3年とか5年のアレである。
元から一日分の書ける場所と大きさが決まっているので、「きょうは〇〇した」
という事実が三つもあれば書けなくなる(その感想まではムリ)。
風格ある装丁が施されているので、書くときは身が引きしまる(大学ノートには
なかった)。3.3.5.5年ともう4冊目に入った。
・考えた、というか気づいたこと。
なにかの拍子、きっかけで過去のことを思いだすことは日常茶飯事だが、
昔の日記を開くことは、私の場合、ほとんどなかった。
いくらかあったけれど、それはそのとき抱えていた問題、気になることを解決する
ヒントを求めてのことだった。
こんど初めて、連用日記をつけるようになってからの昔をふり返ってみようと思い
当時の判読がむずかしい筆跡を読んでいる(14年前の事故の後遺障害は、手指の
運動神経にもおよび、読める文字を書けるようになかなかならなかった)。
↓
すると、「輝ける日々」は自分にもあったことがわかった、感じられた。
その気になれば、誰にだって「輝ける日々」はある。
そして、すばらしいオマケにも気づいた。
そのオマケとは(もっとも私はツレに「過去に生きる男」とよく言われるし、
自分だけ「すばらしい」と感じるのかもしれない)、昔をふり返る(追体験)とは
過ぎさった事実を変えることはできなくても、味わうことはできる。
(また、自分の人生を生きているような得した気もち)