カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.5 『禅僧が教える 心がラクになる生き方』

『禅僧が教える 心がラクになる生き方』  南 直哉・著

という本を読んだ。

 

 

とてもやさしいわかりやすい内容で、自信をもって薦められる本です。

(近ごろでは前に書いた『人間が生きるってこういうことかしら』以来のことでした

あまり多くはないので、初めに付箋したところのみ引用し、

後から感想を少し書きます

 

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【引用】

「自分を大切にする」ことをやめる

ふだん、あなたが「私」と呼んでいるものは、突き詰めれば、「記憶」や「人とのかかわり」

成り立っている存在にすぎないのです。…

人はこの世に「たまたま」生まれ、他人から「自分」にさせられたのです。

 

「生きる意味」は見つけなくてもいい

自分の存在はしょせん「たまたま生まれてきた借り物」にすぎない…

自分のためではなく、誰かのために何かをする…

自分が選んだ「べき」が、しょせんは幻想だとわかっていれば、力む必要もないでしょう。…

 

生きるか死ぬか以外は、大したことではない

「置かれた場所」で咲けなくていい

 

「人生に意味などない」というところからスタートする

仏教では、「人間は無明である」と考えます。…

私の考える無明は、人間の存在それ自体には確かな根拠がない、ということを知らないことです。…

「人生のそれ自体に意味などないのだから、わからなくていい」と気づく。…

自分の選択が「正解」だったのかどうかは、死ぬまでわかりません。

しかし生きている限りは、そこに賭けていくと決めています。

 

情報の99%はなくてもいい

自分にとって「要るもの」と「要らないもの」が明確にわかっているのです。…

「欲しい、欲しい」と思うときは、強い不安があるのだと考える…

自分はいったい何が不安なのか。…どのような状況が自分を不安にさせているのか。…

「生きているのも悪くないな」と思える人生を生きる…

人生には、死ぬこと以上の大仕事などありません。

 

すぐに「答え」を出そうとしない

自分で言葉にすることがむずかしいのなら「末期の眼」を持って問題を見…

 

「自分が、自分が」と考えない

世間で「年をとる」ということは、つまりは「いなくても構わない人になっていく」ことです。…

 

死を乗り越えようとしなくていい

「自分」とは 「自分」という舟

人がこの世にある限りは、どうしても乗らなければ生きられない乗り物。

「かけがえのない人生」と言いますが、しょせん自分の思い込みです

 

(注:「」〈〉太字太字はこっちでしました) 

 

             

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著者の南さんは、子どものときから身体が弱かったこともあってか、

生きる死ぬということにとても敏感で、そういうこともあり、必然のように

仏教の道に進まれた。

(他の本に詳しく書いてあります。

この方は寺の生まれではないけれど、曹洞宗大本山永平寺」で修行されて僧侶となった)

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人間の存在それ自体には確かな根拠がない」というのは、著者の人間、人生に

ついての根本的なとらえ方だ。

(私は南さんのものを他にも読んだことあるけれど、強くそれを感じました)

 

人はこの世に「たまたま」生まれ、他人から「自分」にさせられた」のだから「〈「生きる意味」は見つけなくてもいい〉」のであり、

「自分を大切にする」ことをやめ」ればいいし、人生においては

「〈生きるか死ぬか以外は、大したことではない〉」のだ。

 

自分の選択が「正解」だったのかどうかは、死ぬまでわか」らない。

間違った選択をしたと思えば修正して生きなおせばいい。

しかし、選択しなおせるものはその時その場ですればいいけれど、

自分の「人生」そのものは終わるまで、死ぬまでわからない。

(他人が自分の人生を評価してもしかたないのであって、自分が納得できたかどうかが問題だ。

でも実際は、死ぬときはそんなことどうでもよかろう。

ただ、「ありがとう!」とは絶対、伝えたいもの)

 

「人生」そのものは一度きりでやり直しはきかない。だからこそ、

生きている限りは、そこに賭けていくと決め」るのだ。

 

もう一つの問題は、自分は何に「賭けていくと決め」るか?

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「末期の眼」とは、死ぬときの眼ということだろう。

そんな眼、気もちを持って毎日を生きたい。

(「メメントモリ

 

とくに若いころは自意識が強く自分が、自分が「自分中心」となりやすい。

でも、「「年をとる」ということは、…「いなくても構わない人になっていく」

(孫はただ可愛い。それは「親としての責任」という義務感から解放されるためだろうが、自分が

「いなくても構わない人になって」るからだとも思う

 

「自分」とは 「自分」という舟

人がこの世にある限りは、どうしても乗らなければ生きられない乗り物

そうか、自分は「○○」丸(号)という舟みたいなもんだと想うと

気が楽になってきた。

どうしても乗らなければ生きられない乗り物」なのだから。

 

この人生は、「しょせん自分の思い込み」でありはしても

「かけがえのない人生」」であるのに違いない。

 

 

                               

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                             ちりとてちん

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