少し前、若い俳優さんが3人も自殺、他界された。
(ご冥福をお祈りします)
みんな有名な方らしく、私のように芸能界に疎い者でも、あの人たちが出演されて
いたテレビドラマはみたことがある。
何が原因なのかはよくわからないようだが、何であれ、自分で死を選ぶとは
よくよくの事情があったのだろう。
有名無名にかかわらず、また自殺・他殺、事故にかかわらず、若い人の死を聞くと
ほんとうに痛ましく感じる。
(「人生の重み」に長いも短いもない、老いも若いもないとはわかってはいても)
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自分が年よりになるまでは、若い人の死を同情したり可哀そうとは思っても、
「痛ましい」という感覚まではなかった気がする。
それまでは家族のことを含め自分の生活と仕事に追われ、若い人の死を聞いても
感情を乱すのはそのことを聞いた一時のことだった。
「しょせん、他人ごと」(老いて「他人ごと」が「自分のこと」になったわけ
ではない)
たとえ悩み苦しみがわかっても、他人の苦悩を代わって背負うわけにはいかない。
他人は他人、自分は自分。冷厳な事実。
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生まれてから10代となり、20代、30代、40代、50代、60代…過ごし生きてきて
いま痛切に感じている。
死ぬことなくここまで生きてこられたのは奇跡だと。
生まれてから10代となり、20代、30代、40代、50代、60代…過ごし生きてきて
いま痛切に感じている。
自ら欲しなくても(自殺しなくても)死は向こうからいくらでもやってくることを
(私には、可愛いさかりの小学生兄弟を残して病死した義妹、二人の子を残し車に
はねられ死んだ従妹、幼いときの病気で重い障害を負い二十歳過ぎで亡くなった
従妹、難病中の難病で死んだ叔父、そして自殺した叔父と伯母がいる)
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死にたいとまではいかなくても、憂鬱な気もちになったとき、そのとき、
心にピピピ…と響いてくるもの、感じるものとの出あいがあると救われる。
(ずっと前に書いたことあるけれど、私は)若いころ、ひどく落ち込んでいたとき
ボゥーっとみていた『天才バカボン』、赤塚漫画の単純な絵(野原だった)に強く
惹きつけられたことがあった。
何でもいい。そういうものがあったらあの人たちは死を選ぶことがなかったと
信じる。