カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.1.10 「デフォルト設定」

きょうは②「デフォルト設定

(本の内容からは離れますが、この言葉について考えさせられました。それを書きます)

 

デフォルト」という言葉はパソコンをやるようになって初めて聞いた。

(ネットの「コトババンク」によれば→

英語で、怠ける、怠るといった意味。

金融やスポーツ、コンピュータの分野などで使われる。

(1)金融では、債務不履行をいう。

(2)スポーツでは、棄権をいう。

(3)コンピュータの分野では、機器の出荷時における初期設定状態や、ソフトウェア

インストールしたときの、あらかじめ設定された標準的な動作条件や値のことをいう。

デフォルト値デフォルト設定などともいう。

電子機器や電化製品などで広く使われており、初期設定値、工場出荷時設定、省略時設定などの

用語も同じ意味で使用されている」)

 

デフォルト」は英語で「怠ける」という。

(自分好みに初期設定を変更するのを「カスタマイズ」というけれど、

私のような怠け者は、面倒くさいと怠けカスタマイズしないことが多い。

 

ふと思ったのだが、ある意味、「出生」も「デフォルト設定」といえるのかもしれない。

胎児が「怠ける」わけではないけれど、「生まれる」というのは初めから受け身、与えられるまま

《正確には胎児の働きかけもあろうが》なので怠け《てい》」ように見えなくもない

《正確には自然のままなのだが》

           

        


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世界は大自然のようにはじめから「先天的」にすでに与えられている

けれども、「後天的」という言葉があるように、人は出生したのちの育ちのなかで

さまざまな経験をし選択をおこなうなかで、生きるなかで、デフォルト設定」を

カスタマイズ、自己実現させていく。

 

が、しばしばどうにもならない壁にぶち当たる。

自分の「性質」(本質的な性向のようなもの)、身体的な能力・才能・特徴、器用さ

などは変えにくい。

(私の性質デフォルト」は、「いい加減」「怠惰」「ご都合主義」…。

身体デフォルト」は、

子どものころ、ソフトやドッジなどボール競技《チームで勝敗を争うものすべて》でしょっちゅう

ヘマをし、「オマエがいるから負けた」と仲間に思われ言われ、体育の時間はユーウツだった)

 

コンピュータのように、望むどおりに「差別することなく誰でも平等、簡単に

カスタマイズできる」ならどんなにすばらしいかと思うけれど、望むようには

いかないのが人生、それが人生と、自分なりに納得がいくよう折り合いをつける。

(まだまだでも、そのことを楽しむ、おもしろがるようになるのが人生の醍醐味というものかと、

ほんの少しでも思えるようになった気がする)

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しかし人生という根本的にだいじなことではなく)商品の使用、サービスの享受など

日常的・具体的な問題では、デフォルト設定」に慎重でなければならない。

 

その「デフォルト設定」は決して「無設定」ということではなく、「利益」「儲け」という

資本主義市場原理が貫徹し、「より多くの人が選択するだろう」という「多数決」原理の「既定設定」

である。

その「既定設定」はその商品・サービスなりの企画・製造・販売者側にとって最大利益を生みだす。

デフォルト」を選ぶ消費者は、つまり、カスタマイズ・自分の好みに合わせた変更を面倒くさがる

「怠け者」、私のようなものぐさは、商品・サービスの企画・製造・販売者側「身をまかせる」

「丸投げする」に等しい。

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ところで、「デフォルト」について書かれたある本を前に読んだことがある。

それは「デフォルト」には気をつけなさい!という趣旨の本。

具体的には、よく行われる「アンケート調査」のことが述べられていた。

「アンケート」にはたいてい、調査の実施者は自らに都合のよい、ある特定の結果を導きだすため

「客観性」をよそおって、回答者が無自覚にその回答にいたるよう意図的に調査・質問項目の内容、

順番を操作、工夫している。

無記入のように、回答者にいちばん手間のかからないデフォルト」の回答を用意している。

 

「アンケート調査」や「世論調査」というものにきな臭さを感じている者として、

さもありなん」と思った

 

 

 

 

                          

                          ちりとてちん

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