カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.10.13 『ぼくらの戦争なんだぜ』(前)

前の記事にシーラカンスのことを書いた。

(「ガラケーで間に合ってます」という私も十分、シーラカンスの仲間かもしれない。

が、まだガラパゴス程度)

 

その魚が「生きた化石」といわれるほど長続きしていることを想うと、

どうしても自分のこと、ヒト、人間、人類を思ってしまう。

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4億年という地質学的な、すごく贅沢な時間が経ったあとのヒトの変化した姿は

想像できない。

(「進化」にしろ「退化」にしろ「変化」があることはヒトが長続きしている《あり得ないか》。

実際は、現在の人類の調子なら4億年に比べれば火花のような100年も持たず絶滅すると思う

 

しかし人間はしぶといので、一旦は絶滅しても、地球環境にまだ生命を生み出す

可能性があるのなら、(現在の姿かたち、機能・働きとまるで異なっていても)

生きものとして一からやり直すかもしれない。

(いやいや、ごくごくごく…一部がシーラカンスのようにひっそり生き延びるかもしれない)

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そのヒト、人間、人類を、いますぐ滅びさせる戦争は、シーラカンスの対極だ。

 

いまの日本に暮らす私たちにとって、「シーラカンス」も「戦争」も

遠い国の他所ごと。

 

材料に何が使われどんな建て方がされているのか知らないウクライナの民家、

鉄や石、セメント・砂・、木などの材料で、多くの建設労働者、職人さんが

さまざまな道具や機械を使いこなし、長い歳月をかけ建てた集合住宅やビルなどが

瞬時のうちに、ロシアのミサイル攻撃で破壊され、瓦礫の山となり、廃墟と化す。

その名状しがたい悲惨の外面だけ(視聴者が吐き気をもよおさない範囲内)は、

テレビの画像・音声として画面を通して遠く離れた私たちにも伝えられる。

(また始まったパレスチナイスラエル。まったく無益な対立はアメリカが根本的に重大な原因を

作ったというのに《シリア、イラク、イランといい、北朝鮮といい、アフガニスタンと同じく》)

 

一瞬のうちに壊され、使い物にならなくなり、多大な材料をかき集めるのも、

それを元手にかける手間ひまがどれほどたいへんだったとしても、

また人間は作り、直す。

家や建物などモノはどうでもいい(「思い出」など、どうでもよくないものもあるけれど)

ともかく命さえあれば。

 

(人間はどこでもいつでも《戦争にせよ、自然の大災害にせよ》災害を被ったときの状態を超えて

新しく作り直す。

78年前に終わった戦争も、阪神淡路」も「新潟」も「熊本「も北海道」も「東日本」もみんなそう。

それは人間のすばらしさを表しているけれど、私は「シーシュポスの岩」という言葉を想う。

 

             

                   (グーグル画像より)
                   

せっかく苦労して重い岩を山頂に押し上げたのに、押し上げても、押し上げても岩は元の低い場所に

転がり落ちるというもの。転じて「果てしのない苦労」。

それが「人生」というものの真実かもしれない。

《一見ムダの繰り返しのようであっても、一回一回の押し上げは違う。対象の岩は変わったり、

こっちの押し上げ方は工夫され、改善される》

でも、仏陀も言うように「人生は苦」。

 

その「人生苦」も、人類絶滅とくれば味わえなくなるが、「苦」も「絶滅」となるからいいか…

「ともかく命さえあれば」ならば、バカな人類には戦争だっていいのかもしれない…?)

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あたり前だが、遠くの戦争は他人ごとなのでぼくらの戦争」とは感じにくい。

感じにくくても、「戦争一般」ではなくぼくらの戦争」と捉えることは

(しようとすれば)出来る。

 

この本を読むとそういうことを強く感じさせられた。

とても考えさせられた。

 

『ぼくらの戦争なんだぜ』  高橋源一郎・著

 

(グーグル画像より)

 

ここまでが長くなったので、肝心の本のことは次回にします。

 

 

 

 

                           ちりとてちん

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