カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.3.12 結婚

結婚。

 

いまは恋愛にしろ見合いにしろ、出会いを求めての積極的な行動「婚活」にしろ、

いいなぁと思う異性と出あい、お互いがいつも一緒にいたいと望めば結婚できる。

 

しかし、古い時代は家同士の関係、結びつきだったので、当人たちの思いより

家が優先した。

(それは、現代ではごく一部だろうが「名家」といわれるような一族の家柄の存続のため。

祖父母以前の出自となると不明な私のところなど「存続・持続」は問題にならなかった。

それはともかく、結婚そのものはそれほど困難なことではなかった。

《でも私に限っていえば異性にもてた思い出なんか一度もなく、思春期さえ少しのあいだの文通交際

くらいしかなかったから彼女ができるなんてありえないと諦めていたが、「運命」は分からないもの。

《あるとき出会いがあり結婚した。できた。

運命について、よく自分で「切り開く」ものといわれるが、「与えられる」方が多く決定的だと思う。

大事なことは、「与えられていることを自覚」した上で「自分で切り開く」ことだと思う》

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出会いのウンに恵まれなかったり、好みやタイプにあまりこだわると、

一夫一婦の婚姻形態では相手を決めるのが難しいかもしれないが、

オスとメスが一緒になるというのは、生物的な、自然な現象・行動であり、

人間だけ独自の(「結婚」のような社会的な制度、ルール、風習など面倒くさい)もの

加わわっても、そういう面倒くさいものにもかかわらずホントうまくできており、

(人間集団を大きな括りで見れば)だいたいカップルが成立している。

 

人間もすべての生き物と同じく(ヒトは人類として)続いている。

 

       

        


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時代や社会にかかわらず、結婚という人生の大イベントの目的の一つは

生活の安定」にある。

(これから紹介する本にはそう書いてあった)

 

私が結婚した頃は(すでに翳りが始まっていた)まだ「高度経済成長期」だったので、

当時の私は自分一人が食うことがやっとだったが、結婚できた。

 

だが、もう一つの目的(これも本に述べられていた)は「親密性」だという。

(要するに、好きな人とはいつまでも一緒にいたい、親密になりたいということ。

 

私が結婚した時代は『神田川』や『結婚しようよ』が流行っていた。

明らかに「生活の安定」よりか「親密性」だった。

あの時代だからこそ私のような者でも結婚できたのだった)

 

       


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ところが、いまは結婚して家庭をもつということが難しくなっているという。

生活の安定」が脅かされている。

(そうかと思う一方では、「玉の輿に乗る」という結婚のしかたもあるらしい。

親密」はだいじだけど「セレブ」が重なったらもっといいのかもしれない。

《でも、多くの人は「セレブ」になれない》

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両立させることが大切でも、「親密性」を「生活の安定」より重視すれば

誰でも結婚可能と、私は単純に思っていた。

 

だから結婚は「好き。一緒にいたい」という気持ちさえあり、

相手もそうならば、二人の関係は自然に結婚の方向へと進むと、

私はきわめて単純に思っていた。

ところが

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仕事、労働(つまり「生活」、「暮らし」)という人間としての当たり前の営みが

しにくいという現代は、根本的に間違っているとつねづね感じているけれど、

それが「結婚したくても、できない」若者を多くつくり出しているという事実を

私は自分ごとのように考えてみたことはなかった。

 

(ここまで書いていたら本の紹介まで出来なくなったので、そっちは次回からにします)

 

 

 

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                          ちりとてちん

今日の一句

水洟を 貧乏神に 見られけり  松本たかし

 

 

 

 

 

 

 

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