カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.12.12 双子の運命

「双子の運命」という単純な寓話です。

 

一卵性双生児でも、生まれてからは別々の人生を歩んでいく。

たとえ、「運命」客観的に起きる出来事、出会い、つまり「環境的要因」同じように

訪れても、二人の心や精神のあり様は違うので、感じ方や思い方、認識や判断は

異なる。

(この寓話はそれだけの内容)

ーーーーー

よく似た話はこれまで聞いたことがあるけど、そうだと思う。

でも「思う」だけでは頼りないので、あらためて考えてみた

 

著者は述べる。

 

双子の運命

何に対し何を思うかは、あなたの自由…

マイナスに見えるような出来事であっても、その出来事自体は中立であり、

その出来事をどう解釈するかは自由ということだ

 

ーーーーーーーーーー

その出来事自体は中立」 → プラスでもマイナスでもないということ

(客観的に、ただ出来事としてそこに存在するだけ)

 

よく「物事は思いよう」といわれる。

 

その出来事をどう受けとめるか、どう思い、どう考えるか(認識、判断するか)

何を思うかは、あなたの自由」なのだ。

 

価値を与える、持つ(見出す《「無価値」、戦争のような「価値の破壊」を含めて》)のは

あなたであり、私なのである。

 

           


ーーーーー

その出来事」を「中立」状態で認識、判断できる心の余裕があれば

自分に差し迫った関係があるわけではない場合)冷静になれても、

自分が望んだ、選んだものではなく、突然、予想外に起こると、

その出来事」にのみ込まれてしまい、自分を見失いがちになる。

(「その出来事」の真っただ中にいると、「我を忘れ」がちになり、一つの選択肢、一方向しか

見えなくなってしまう。

意地になったり、感情に囚われる)

ーーーーー

とても難しいが、「距離を置き、離れ」ることの必要を強く感じた。

そのために、(5日の記事「無いものではなく…」の中、「三つめの庄内」というテレビ番組を

見て触れた)心に余裕を持てる」ことの大事さを、ここでも痛感する。

 

心に余裕」がなければ視野が狭くなり、何か問題にぶち当たったら、解決のため

一つの(もしくは少なく限られた)選択肢しか見えて来ない。

(私は目にも障害があり、加齢とともにだんだん酷くなった。

この頃は限界までバッチリ開けても視界が狭くなり、注視した一点しか目に入らない。

以前は、視界全体が見えていたのに。

これは「心の余裕」でなく純粋に身体《目》の働きの衰弱の問題だが、目玉をあちこちに移動させ、

なるべく注視した、目に入った物以外の多くを見ようと思う)

 

子どものころからなるべく多くの世界に「遊ぶ」、それが何であれ、とても大事。

 

 

 

                            f:id:kame710:20171029114701j:plain

                             ちりとてちん

今日の俳句

玉の如き 小春日和を 授かりし  松本たかし

 

<