カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.2.6 熊谷晋一郎

今日は熊谷晋一郎さん(脳性まひの障害者で職業は大学の先生)です。

(この対談もすごく考えるところがありました。

力量不足でうまくまとめて書けないことをお許しください)

 

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「知」と「信」

 

① (ご自分が障害者であることに対して)

苦しんでいる自分は変わらないけれど、そういう自分を第三者の目で俯瞰できるようになる。

(このことは)知性(の働きによるものであり、そうすると)苦しみを抱えながら、

生きやすくなる

宗教の「神」も「来世」も それらの壮大な物語

 

 依存症の本質は「依存できない病」

宗教の場合、そこでわが身を丸ごと物語に委ねる、つまり、「信じる」へのジャンプが必要

 

③ (現代の日本は

「迷惑を掛けない」という価値観は美徳である(といわれるけれど)同時に…傲慢の表れ…

都市の大原則は「人に迷惑を掛けない限り、何をしてもいい

われわれの社会はあるときから、「節度ある弱者」を求めるようになった気がします。

「一定の支援をするから、それ以上は要求しないでね」というバリアを張り始めたような。

(熊谷さんは「「支援」の名のもとに囲い込まれ」と表現される)

 

      


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①②③、どれも言われていることに深く何度もなずいた。

 

私は屁理屈はこねるけれど自分を知性的とは感じず、

よく拝むけれど信心深いとは思っていない。

」にも「」にも欠けている。

 

が、少しくらいあると思う。

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■ ① 自分も障害者なので実感するほどよくわかる。

障害を負い、これまで簡単・自然に出来ていたことが「これは妄想?」というほど

出来ないか、出来にくくなった。

 

そんな「自分は変わらなくても、「そういう自分を第三者の目で眺めている

もう一人の自分を感じる。

すると、ちょっと障害と距離をおける。

 

障害に遭わなかったら、どうしていた(どうなっている)だろう?

障害そのもののこと、自分を含めた障害者のこと、障害者でない「普通」の人…

いろいろと考え、想像した。

(考え想像する「知性」が少しはあると思えた)

 

■ ② 私は特定の宗派の「信者」ではないが、「仏教者」だとは思っている。

キリスト教など他の宗教は出会う機会がなかっただけ)

 

この頃になって、宗教の」「信仰」大切さを強く感じるようになった

(そこまで「ジャンプできた。

」を超えなければ「」には至れない。

 

ところで「依存」も」の一つの形だと思う

 

その「依存」は、よくないことのように言われがちであるが、委ねる」ことは

必要な場合があると、障害者、そして老人となってからよく感じている。

 

■ ③ 人に迷惑を掛けない限り、何をしてもいい

    「節度ある弱者

 

どっちの言葉も胸に強く響く。

 

 

 

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                             ちりとてちん

今日の一句

大根の 白さは生きる 白さ  中村明子

 

 

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