前回の続き、
今日は④、⑤、⑥です。
④
「わたしとっての人生はやっぱり、長い一本の紐じゃなく、短い紐の束になったままだった…
だからこそ地面から少し浮いているほうが心が楽だった。…
わたしからすると、周りの多くの人は、いつか死ぬことを知らずに日々を生きているように見える。…
(私たちは)互いに存在の見えないパラレルワールドに暮らしながら(も、しかし)無意識下で
どこかで繋がり続け、影響を与えあったりしていないかなぁ。そうだったらいいな」
…
⑤
「患者さんのブログとか、著名人の方からの発信とか、よく見るけど、わたしみたいな人、
無を漂うようなこの感覚について話してる人、みつからないんです。…
周りが冷たいとか無神経とかそういう問題じゃなくて。みんなそれぞれ持続可能な限りで
優しい人類ばかり…
ただ、どういう状態なのかが本質的にはわからない人たちの中で暮らし続けざるをえない…
わたし、沈黙しているときにも、説明責任を感じるときにも、よくわからない孤立感があるんです。…
宇宙人みたいというか。人間の擬態をして目立たないようにして暮らしてて」
…
⑥
「人間って一人一人違うし。グラデーションが細かくて、よく見たら少しずつ異なってて。
そんな複数の要素の組み合わせで一人の人間ができてるわけで、その組み合わせだって無数にあって…
同じブレンドの人はいないって思えてきました」
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④
ひょっとして死ぬかも…と感じることのあるような病に侵されていたら、
私も自分の人生を「長い一本の紐じゃなく、短い紐の束」と思うかもしれない。
長いものならば、たとえ細くても続くから一本でも重さは増え、地面に着く。
しかし、短ければ束になっても軽く感じられフワフワ、
「地面から少し浮いているほうが心が楽だった」わけだ。
地に着いたものであろうが、「少し浮いてい」ようが、
「いつか死ぬことを知らずに日々を生きているように見え」る生き方だろうが、
(死を意識した)「メメント・モリ」的な生き方だろうが、
そういうことにかかわらず、他の誰かさんと「どこかで繋がり続け、
影響を与えあったりしていないかなぁ。…」に強く惹かれた。
(ブログは、「互いに存在の見えないパラレルワールドに暮らしながら」もわかり合いたい、
「影響を与えあったりし」たいところもあるのでは。
私はある)
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⑤
何だか分かる気がする。
人は誰でも「互いに存在の見えないパラレルワールドに暮らし」ていると思えば、
そもそも「わかり合えた」「通じ合った」と感じ、思うこと自体が不自然であって
「思い込み」「錯覚」「幻想」かもしれない。
(そうでないのかもしれない。
《患者さんのブログは別にして》「著名人」は人気商売だからよほど正直一徹な方ではない限り、
善意から大方の読者に迎合した記事になり、「それぞれ持続可能な限りで優しい人類」の一人になる
のだろう)
そうだとわかってはいても、「宇宙人みたいというか。人間の擬態をして
目立たないようにして暮らして」いても、(客観的に人は、お互いが別々の身体だから
一方の病気、障害が他方に通じる道理はないと理解していても、それで終わらない。→「孤立感」)
孤立感があっても、わかってほしい、通じてほしいという願いが、頑として強く
存在する。
(自分の障害をうまく伝えられない表現力、文章力の乏しさを痛感するより先に、「一人で生まれ
一人で死ぬ」ということを意識して生きているのが人間だと私は考えているので、矛盾した生きもの
だなぁと思う)
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⑥
個性のことがいわれていると思った。
(ネットによれば「2023年現在の世界人口は?
米国勢調査局は、1月1日時点の世界人口を80億1987万6189人と推定」)
いま現在の地球人は約80億という。
一人ひとりが別々。
ただただ、ホント? スゴイ!としか貧弱な言葉しか思いつかない。
今日の一句
暖冬や ふてぶてしきは 腰の肉 須佐薫子