②これからの結婚
(私がとても強く感じたことが本の最後にありました。初めにそれを紹介します)
「〈欧米とは異なる結婚不要社会〉
欧米は、幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会です。…
それに対して日本は、…何とか幸せに生きられる社会になったのです。
→パートナー圧力のない日本 「パラサイトシングル」、母親やペットとの親密、
男性ならキャバクラやメイドカフェ、オタク的な趣味の世界など
親密性を買うことに抵抗がない
→(欧米では)「パートナーが存在しないとみっともない」
(ところが日本では)「ちゃんとした(結婚した)パートナーでないとみっともない」となる…
日本では「婚活」や「おひとりさま」が産業化」
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日本は明治以降、何でも欧米がよくて進んでいるかのように思い、
「欧米化」でやってきた。
「進んでいるか否か」はどうでもいいが、「よいか否か」には敏感でなければ
ならない思う。
「よい」と思うものは欧米発のものでも、中国やインド、歴史をさかのぼって
原始社会でも、どんどん真似ればいいと思う。
(つまらないプライド、ナショナリズムを掲げて他を排撃するというみみっちいものじゃなく、
同じ人類、地球に生きる者として「グローバル」《「コスモポリタン」の方がいい》でありたい。
前の記事の最後〈オマケの話〉にイタリアのテレビドラマ『ドック』のことに触れたが、
欧米は「幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会」だということを強く感じた。
私は欧米がよいとは夢にも思ったことないが)
「幸せに生きるためには親密なパートナー」が「必要」ではなくとも
「いる」方がいいとは思った。
(別にパートナーでなくてもいいけれど、例えば子ども、親友のような親密な誰かがいた方がいい。
別に人間ではなくとも、大切なのは「親密」ということ。何だっていい)
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著者のいうように、いまの日本は「何とか幸せに生きられる社会になった」と思う
(もちろん何より「幸せに生きよう」という気がなければならないが、前提条件として
ある程度のお金が必要ではなかろうか《抵抗さえなければ「親密性を買う」こともきる》)
「幸せに生きる」ことが人生の目標だとしたら、結婚しなければならないことは
「幸せに生きる」ことの前提条件ではない。
「幸せに生きる」こと=親密な人のそばにいることならば、欧米のように
(相手をころころ変えようが変えまいが)パートナーを持てばいいし、子どもや親友を
持てばいい。趣味のような好きなことをすればいい。
(子どもは結婚しなくても「くっつけば」できる。「くっつく」のは本能で自然なこと。
「国」はどうでもいいが、人間はヒトという生き物の一種として続いていかなければならない
《人間だけが持つ「言葉という文化」で表せば「生き物の宿命」》)
やっぱり、遠い先には「結婚不要社会」が来るのかなぁ。
今日の一句
ねこの子や くんづほぐれつ 胡蝶哉 其角