たぶん誰でも「死」を思い、考えることがあると思う。
歳とれば死が身近になるし、ヒマも多いから思い考えることはたびたびだ。
(「そんなこと考えても腹がふくれるわけじゃなし…一銭の得にもならない」「悩んでも死ぬときゃ
死ぬ」 それは確かにそうなのだが、しかし、そう言っちゃあオシマイよ)
私はここまで生きて、いちおう「こういうものかなぁ」というものはあるのだが、
その同じような死生観(=人生観)のまわりを堂々巡りしている。
(同じ本を二度、三度読むことは余りないけれど、似たようなことが述べられているものを読む。
内容がだいたい分かっていても、何度も接したくなる)
堂々巡りや「何度も接したくなる」のは、私の記憶力、理解力が悪いというような
問題ではなく、自分が共感するその死生観への信頼をもっと強め、安心しようと
しているからに違いない。
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というヘンな前置きを書いてしまいましたが、
『わたしの死あなたの死 最後まで生きるために〈上〉』 柳田邦男編
を読みました。
今日はこの本の感動した部分の引用だけをし、次から自分の感想を書きます。
「〈命の不思議〉 河合隼雄
・(著者は「科学の知と神話の知」ということ項目で、人間同士の)関係の中で考えた知恵を
「神話の知」(といい、それは)「神話で語(られ)る」(といわれる。そして)
関係をきっぱり切って考えるのが「科学の知」(とわれる)
・(「行き先が分からない現代」という項目では、生き生きと生きている人は「安心している」
といわれる)そりゃ私は安心しています。私は死んでから行くところがちゃんと分かっているから…
(続けていわれる)ユングは言っている「(現代人は)行く先が分かっていない(から)イライラ、
せかせかしている。死亡率は誰でも100%。なのに「皆死ぬのに行き先を知らなさすぎる」」
(だから)「神話の知」(が求められる)
〈少子化の中の子どもの死を通して、この国のこれからを考える〉 細谷亮太
・若い世代に伝えたい、生きることへの「後ろめたさ」…
ある程度の歳になったときに、亡くなった人のことを考えて「うしろめたさ」を感じる(ことが大事)
長く生きているということへのうしろめたさ(を感じると)悲しみや儚さへの共感が生まれる
・感覚の世界は、客観的な世界ではない
現代社会においては、誰一人として同じ姿を見ている人はいないのだということを忘れさせる装置を
徹底的につくっています。
・スピチュアルというのは、一人ひとり人間は違う、そこから来ているのです。
感覚に関していうなら、皆さんは一人ひとり、他人とは違う世界を必ず生きていて、
死ぬまで違う世界にしか生きられないのです。
・情報化社会の最大の特徴は、…感覚的な違いというものを、消してしまうということです。
〈共生と共死〉 山折哲雄
・(山折さんは「看取ることと祈ること」という項目で、それらは「究極の癒しの作法」だという)
・(また「この世とあの世の連続性」ということで、生と死は「緩やかな連続性があって、
その中でこの世から旅立っていく」。それは「プシケー」(ギリシャ語で「蝶々」をいうが、
同時に「魂」という意味がある)みたいなものであり、「別の世界に赴く(死んでいく)ための
イメージ・トレーニング」が大切だといわれる。そして、
死は自分一人のものではなく、「共に死んでいくということ」ということを想うことも大切だと。
〈科学技術文明における死生観〉 高木訷元
・(高木さんは「科学技術文明における死生観の問題のひとつは脳死の概念」といわれ、
「もう一つの問題」は「尊厳死」という)
医療も、ただ単なる生との関わりとしてのものではなく、死との関わりにおけるものが…
なければならないと思います。
〈「生きなおす力」を探る-悲しみこそ真の人生のはじまり〉 柳田邦男
・物語性の中で「生きなおす」
・(柳田さんは、東日本大震災も経験された名取市の在宅ケア医岡部健先生の言葉を引用して)
「死は、常に不合理で非条理なものです。不合理で非条理なものをきちんとマネジメントケアできる
ようなシステムといったら、やはり宗教…「臨床宗教家」」というものが求められること、
また同じく岡部先生の「あの世を語れない医療従事者に、あの世を信じている人の看取りはできる
のだろうか」も引用される)
・「時間が経てば忘れる」とよく言うけれど…、しかし、それでも生きなおすことはできる。
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柳田さんはこの本のまえがきにおいて「人生のよき最終章を創るために」と題して
人生の残りが短いとわかったとき、つまり人生の”最終章”に入ったとわかったとき
には”最終章”くらいは過去形ではなく同時進行形で自分で書く、言い換えるなら、
創作するという心構えで生き抜くということは可能でしょう」と書かれていた。
とても強く胸に響いた。
今日の一句
菜の花や 月は東に 日は西に 与謝蕪村