カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2013.12.14 本来無一物)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 ことしも残すところ17日。年末の切れかかった頭に、雲のようにポツリうかんだ。

 きょうでこのかた、私は2万2千830日目(あなたは何日ですか?)生きてきた。

 もうすぐ「正月」。♪「…はやくこい、こいお正月」♪ すべてがサラ(0)になり、そしてはじまる。

 うちではことしから台所に太陰暦(旧暦)カレンダーをつるした。そこには歳時記も載っており、いろいろおもしろいことが記されている。お月さまのこと、もっと知りたいというのが目的だったが、オマケに「生活を楽しむ」という発想も学んだ。

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 人生を形にしてみれば、女の子の好きなリボン、昔の時計のゼンマイ、ネジと同じ「らせん状」。ひと回り=1年のはじまりが「正月」で、ひと回りすればまた「正月」がやってくる。「正月」は、一種の(人生)リセット装置。

  思えば『金八先生』に「スタートライン」というのがあった。よし!2014年の元旦をスタートラインにし、立とう!(と、自分にムチ打つ)

 そう決意したら、何だか新鮮な気持ちになった。

 

  すがすがしくなったら、殊勝にも2013年を整理してみようかと考えた。すると、前に『心がときめく魔法の片づけ』というドラマで、「片づけ」とは「かたをつける」といっていたのを思い出した。

「かたをつける」といえばケンカとか争いごとで勝ち負けを決めることを思う。ここではもっと普遍的な、胸にググッとくる意味でこの言葉を使っていた。

 まさに、「目からウロコ」であった。

 ヒロインはプロのゴミ整理業者。「すべてのモノゴト〈“物“に限らず、“時間”=“思い出”だって〉にはそれにふさわしいしまい〈終い=仕舞い〉方と、しまうべきところがあります。それらを心をこめてだいじにあつかい、ていねいにお別れをしましょう」と彼女は言っていた。これが「片づけ」の真の意味なのである。

「片づけ」は、はなす(放す=離す)という側面から見ればマイナスであるが、人生というのは+-・凹凸で成り立っている。別れることは生きてゆくなかで避けられない(マイナスの極致である「死」)。生きておればたまる(プラス)ばかり。たまれば慣れて感じなくなる。たまったものは、そのうち腐る。腐れば、…。

 それに、はなさなければ、新たな獲得・ゲットはない(そういう意味では、フォーゲット〈忘れる〉もたいせつ)。±0。リセット。

 私は「片づけ」を、そういう人生的観点から深く問うてみることはなかった。

 

 きょうのテーマはほんらい、「本来無一物」という禅語を書こうとした。それが「正月」やら「片づけ」、あとから連想したことが先になってしまった。

 で、「本来無一物」。1年の終わりにはふさわしい言葉だと思う。人間も人生も「ほんとうは」「なにもない」ですよ、ということ。最低限の生活、シンプルライフのすすめでもあり、「いまここ」・瞬時も真剣に生きなさい、でもある。また、「本来無一物」なのだから何でもあまりコンを詰めては身体に悪いよ。ほどほどにしなさい、とも言っているような。

 

「正月」も「リセット」も、「片づけ」も、みんな「本来無一物」。

(そういえば「輪廻」・「生まれ変わり」もそうか…)

 葉っぱ一枚であそこだけ隠してた原始時代には国家なんて存在しなかった。国境を引かなかったら「シリア」や「フィリピン」もなかった。人類は戦争で仲間同士が傷つきあうのを手をこまねいてみているだけではないだろう。仲間が大災害にあえばもっともっと支援活動を繰り広げているにちがいない。

 

                               ちりとてちん

 

 

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 前 11月18日

                 後 12月8日          

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 はじめて定点観測をやってみました。

おもしろいのですが、撮影がヘタクソ。

練習して、もっとマシなやつをそのうちお見せしましょう。

 

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