カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.1. 16 寿命…①ナマコ

                                                  カメキチの目

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  前に(きょ年9月の半ばから11月の初めまで)『いのちをつくってもいいですか?』という私にはあまりに衝撃的だった本のことを長々と書いた。

 後日、ツレに「しつこいね」というクレームをつけられたので、こんどはしつこくならないように書くつもりだが、また、みなさんに「ねぇー、ねぇー…」と言いたくなる本に出あった。

 

 それは本川達雄さんという生物学者の新書(一般向け)で、『人間にとって寿命とはなにか』という。

 本川さんの研究相手は、ナマコ(海鼠)。

だれもが「知ろう!」「調べよう!」とは思わないような生き物に生涯の研究生活をかけられた。

 いまはリタイアし、ヒマもできたので、長い「ナマコ研究人生」で学んだことを著作や講演で、「生物多様性」を守ることが遠回りであっても自分の人生をたいせつにすることになるのだと啓蒙活動を続けておられる。 

 

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 尾頭(おがしら)の 心もとなき 海鼠かな 去来

 いきながら 一つに氷る 海鼠哉 芭蕉

 

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 いまや人間、いや正確には「現代人」は、地球の主人のような顔し、地上に「天国」「極楽」を築き、この「快適」・「便利」・「楽しい」をもっと、科学・技術の力によって、限りない進歩・発展を続けようとしているが、ナマコはとっくにナマコの「天国」を気づきあげている、と本川さんは言う。

 生き物はみな環境(地球)への適応をめぐって進化を続け、いまあるような形(色)と機能・働きをもった。

 

 ナマコは(他のすべての生物がそうであったように気の遠くなるような長い時間をかけて)ナマコとなり、ヒトは(ナマコと比べようもない短時間で)「現代人」となった。

 

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 ナマコと人間

 著者の研究によると、エネルギー消費量を時間に換算してみると、ナマコの1日は現代人の1分にしかならないという。

 つまり、現代人はナマコの1440(60×24)倍のエネルギーを消費しているということ。

 つまり、時間のうえではナマコ1440匹と現代人1人はだいたい同じということ。

ここで「人間」とはいわず、わざわざ「現代人」といいました。

その理由は、

ヒトは現代になって初めて(正確には近代の産業革命あたりから徐々に)生活のほとんどを、ヒト本来が備えている生物学的エネルギー(それを試し、競うのがスポーツですね)によることなく暮らせるようになりました。家庭でも、たとえば洗濯は手でゴシゴシやらずにすむ(自らの生物学的エネルギーは、スイッチを押し、あとは洗濯物を広げて干すことくらいに使えばすむ)。その代り、洗濯機という機械と電気エネルギーが必要です。電気、ほかにガスとか石油は便利・快適・楽しい生活をしようとすればぜったい欠かせません(車や電車、飛行機などで移動するときも、コンピュータ類を使うときも…)。

考えれば、人間自身が出せるエネルギー以外のエネルギーを自由自在に使うようなったことになったのは、ヒトが「近代人」「現代人」に進化、発展を遂げてからの浅いあさい時間なのです。

縄文のころはまだナマコ30匹くらいだったかもしれません。

 ナマコをとおし、人間の生き物としての原点に立ちかえってみよう、と本川さんは言う。

 

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 私は錯覚する。

 本にはそんなことは書かれていなかったが、「ヒト」という生物には、「快適」「便利」「楽しい」を追い求める「遺伝子」があるんだろうか?その遺伝子の働きが「現代人」を生み出し、また「未来人」へと進化・発展していくのだろうか?

 科学技術が際限なく(人類滅亡のその日まで永遠に)追い求められるのだろうか?

 それが人間の環境(地球)への適応、「ヒト」種、ホモ・サピエンスとしての人間存在の本質なのかと。

どうか「錯覚」でありますように!

 しかもその適応は、他の生き物のいくつかの絶滅のうえに成り立つようだ。

前になにかでドーキンスという科学者の「利己的遺伝子」という言葉を聞いたことありますが、ここでは他の生物に対して「利己的」と表現したのではないですが、私にはそう感じられました。人間だけが利己的遺伝子を備えているのだと。

その人間サマが愚かな行為にいたって破滅する。

ほかの生き物たちには人類だけが滅びるのは「どうぞ、ご勝手に!」ですが、「だけ」ということはありえません。道づれですね。

 

 地球の支配者は「人間サマ」、地球の中心は「人間サマ」。

 そうかもしれないけれど、支配されるモノ、中心をとりまく「周辺」あっての「中心」。

 ほかの、(数だけでなく)圧倒的に多い多様な生物に囲まれての私たち。

 

 しつこくならないように(自信ないですが)、これから何回かに分けて、私の感じたことを主に(本には沿いません)書こうと思います。

 

                   ちりとてちん

 

 

(正月の課題)自然の美

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