カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.2.17 『神経ハイジャック』

 

                                                  カメキチの目

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 『神経ハイジャック』という、あまりに衝撃的な本を読んだ。

 

 きっかけは、①図書館でツレが(本の正体を知らず)好きなサスぺンスものと勘違いして借りたこと。②「分厚い本だけど(530ページ)…」と言いながらも、読むのをすすめてくれたことである。

 

書名がいかにもサスペンスという感じでしょう(勘違いしたのはうなずけます)。

著者はマット・リヒテルという「ニューヨーク・タイムズ」記者で、本は2010年、ピューリツァー賞をとったノンフィクションです。

読書速度が遅々としている私は2回も借りなおしましたが(「途中でやめるだろう」と言われたが)、何人ものアメリカ人が登場し(名前を覚えるのもたいへん)話が輻輳するのでページをめくり返すことはしょっちゅうでしたが、完読せずにはおれませんでした。

ノンフィクションとはいっても、物語風に書かれており、「読ませる」のです。

 

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 基本の話は単純そのもの。

 

 まだ二十代の青年が、ある日、高速道路を走っていて携帯電話(しかもメール)に気をとられて交通事故を起こし、働きざかりの男性ふたりを死なせてしまったというもの。

 いってみれば、よくある交通事故であり、人が死んだので「重い」が、「ありふれた」といえばそう表現できなくもない、よく見聞きする交通事故のひとつ。

このノンフィクションの舞台は2006年のアメリカのある州で、現在の日本とは違う点がいくつかあります。

当時、「テクノロジー先進国」アメリカでもまだスマートフォンは登場していませんでしたが、携帯電話は生活の必需品くらいになっており、メールも頻繁に利用されていました。

当初から、自動車運転中の携帯電話の使用(通話もメールも)は危ないので控えるようには言われていたようですが、事故の加害者は誠実な、どこにでもいるような好青年で、運転中の携帯電話の使用が危険だとはあまり意識していなかった。

つまり当時のアメリカ社会は自動車運転中の携帯電話の使用に対して、(いまでは信じられないくらい)寛容だったということです。

それにアメリカは、州の権限が極めて強く、州によって自動車運転中の携帯電話の使用を取り締まる法制度もさまざま。

 

 リヒテルさんが、執拗な取材をせず、「ありふれた」交通事故といって目をつぶり、切り捨てていれば、この本は存在しなかっただろう。

 なんせ「ありふれた交通事故のひとつ」だったのだから。

 だが、彼はそうしなかった。新聞(テレビだってそう)記者魂、精神ってスゴイなと私は震える思いがした。

 悲惨な事故発生から3年目の2009年から事故関係者に会い、2014年まで取材を続け、1冊の大著にまとめた。

日本語訳はさく年6月に出たばかりです。

 

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 いち交通事故の取材に5年もの長い歳月がなぜ必要だったのか?

テレビのニュース報道で、事故・犯罪現場からということで(被害者家族が悲しみのどん底にあることがわかっていても)「いまどう思われていますか?…」とバカな質問を、無遠慮にマイクを突きだしながらする、ウジ虫のような記者たちを思い起こした。

 ひと言でいえば、著者リヒテルさんのていねいな、いちいち相手の立場、気持ちになって取材した姿勢にある。

 加害者、それぞれの被害者家族(ふたりの被害者とも即死)、事故の第三者(事故は、加害者のメールに気をとられての不注意運転にあり、その全面的なあおりを受けたトレーラーが被害者ふたりの乗った自動車に衝突)、警察官、弁護士、検察官、判事、州知事、被害者支援者…といったさまざまな登場人物の話を聞く。

本にはおおぜいの人が登場するけれど、ひとりとして非難がましく、悪者扱いに書いておられないのです。

読書中なんども私は思いました。「リヒテルさんは『性善説信奉論者』かいなー」

最近の世の中、トランプのような人が支持される風潮のなか、私はひそかに「性悪論者」になりかけていたので、リヒテルさんの人を信じる姿にはイライラしたほどです。

 

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  …の中に、数名の神経学者・心理学者が出てくる。

 

 彼らの調査・研究を細かに著者はしらせてくれる。

 自動車運転中の携帯電話使用がいかに「注意」「注意力」を落とさせるかを、一般人の私たちでもわかりやすく飲みこめる言葉でもって。 

 それに、携帯電話のようなテクノロジーの際限のない発達が、どれほど人間の脳に影響を及ぼしているかを。

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 それらは、科学者に言われなくてもうすうす私たち一般人も気づいていることではあるが、いま一度しっかり認識、嚙みしめてみなければならない極めてだいじなことだと思った。

 読んでいるさいちゅう、付箋をはりメモしたところすべてを書くとみなさん退屈されるので、エキスにして以下、箇条書きで述べます。

 

テクノロジー一般について

・人間の脳は、構造的・機能的、つまり生理的(生物学的)に現代のすさまじいテクノロジーの発達に追いつかない。追いつけない。脳の認知能力には限界がある。

・人間の脳は石器時代とほとんど変わらない。サルの脳が人間の脳に進化をとげるまでどれほどの時間が必要だったか。

・機械は数値化できても(だから囲碁や将棋ではロボットが勝てても)人間の脳は数値化できない。

 

②コンピュータと通信の融合について(つまり、携帯電話《スマホ》の登場はわれわれの生活を革命的に変えたこと)

・テクノロジーが際限なく発展し進化するのは、おそらくそれが携帯電話が登場する前、何万年も前から人間に備わっている原始的、すなわち本源的なもの(本能?)に働きかけるからだろう。

・たとえば、人は誰しもだれかと(家族と)つながっていたいというシンプルな欲望がある。

・それにピッタリ、携帯電話は応えてくれる。

・もし、肩をたたかれたら(携帯電話が鳴ったら。メールが届いたら)なるべくすばやく相手を確かめなければならない。そうしないではいられない。これは身を守るもの、本能である。原始時代、相手がライオンだったら食われただろう。

・しかし、携帯電話に届いたメッセージに「ライオンが近づいている」と警告してくることは、アフリカのサバンナやサファリ型動物園以外ではほとんどないに違いない。

スパムのようにどうでもいいものだろう。

 

③休息することのたいせつさについて

・情報過多が、どれほどわれわれに害を及ぼしているか。「過多」とは、多過ぎること。われわれは「情報ミニマリスト」にならなければいけないのではないか。

私にとって、ほんとうに必要な情報だけをもち、スタイリッシュになろう。

・なにがだいじで、なにがそうでないのか? ゆくっり休んで考えなければ!

 

運転免許証も返上し、持っていても鳴ることはマレな携帯電話。私は被害者になっても加害者になることはないですが、みなさん、どちらにもならぬよう気をつけてください。

絶対、「ながら運転」しないように!!!

 

 

                   ちりとてちん

 

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