カメキチの目
(まだ『生存戦略』を書くつもりですが、きょうは他のことを書きます)
サスペンスドラマにもよく登場し警察ドキュメンタリーでは必ず取りあげられ、ニュースでもときどき事件まじりで報道されることがある「風俗」。
現代のそういう店は入ったことないので知らないけれど、17か18のころ好奇心で友だちに連れられ繁華街の薄暗い路地にあるバーに行ったことがある(初めてのことだったので印象的な経験でした)。そこで、カウンターの向こうの中年マダムに「にいちゃん、いいものみせてあげようか」と言われたことだけをよく覚えている(店内の灯りが消され、マッチが擦られ、その仄かな灯りが数秒つづいたことも。でも、なにをみせられたのか、そもそもホントになにかをみせられたのかさえ正確には覚えていません。よほど緊張していたのだろう)。
開沼博さんという若い社会学者さんがドキュメンタリータッチで書かれた『漂白される社会』を読んでいる。
この本は「風俗」だけでなく、「ギャンブル」「ドラッグ」…など、社会的に「ないほうがよい」(なかには「あってはならない」違法ドラッグなども。要するに「漂白」したほうがいいとされている)ものが取りあげられている。
風俗もドラッグもやったことがないのでわかりませんが、パチンコはあり宝くじは買ったことあるのでギャンブルは少しわかります。
この本を読み、つくづく(というかあらためて)社会、世の中の広さ、奥深さを想った。いいとか悪いとかの問題ではなく、歴然と存在する「ないほうがよい」とされるもの。
でも、さまざまな理由でけっして人の世から消え去らないもの。
この歳になっても、初めて知るすばらしきもの、美しきもの、清きものなどがあります。このブログの世界でも驚くことがしばしばです。
が、同じ「驚くこと」でも、『漂白される社会』が取りあげていた世界には、また違った意味で驚きました。
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・「風俗」‐ 社会の片隅に、形を変えながらも確実に生き続ける。
「性風俗文化」ともいわれるように、たとえ隅におかれても、人間の本能的な欲望とも関わりが深いので、消えるということはないようだ。
(深くそれを調べ、研究した『日本(外国)性風俗史』といった書物もあるらしい)
私のような者でも思いつくのは、時代劇によく出てくる「遊郭」。戦前から戦後もしばらくは存在した「赤線」(政府公認の売春地帯。詳しくはWjkipediaなどをみてください)。
・「ギャンブル」‐ 100%違法な野球トバクなど(サッカーの場合は「トト」といい、名称の響きも心地よくて賭けごとしてるという後ろめたさは皆無。「宝くじ」を買う感覚といっしょなのでしょう。しかしサッカーだけが公的な賭けの対象となっているのは、シロウトではわからない「賭けごとの論理」「確率論」がサッカーだけに適用できるからだろうか。野球や相撲とどこが違うのでしょう?「スポーツ振興」を謳うならば野球や相撲もすればいいと思うのに…)もあれば、いっぽうには、合法と判断され、行政からお墨つきさえ与えられた(さきの「宝くじ」「トト」のように)「政府公認」「〇〇自治体公認」など、おおっぴらに行われているものもある。なかには「福祉」「復興」をうたってものさえある。
こうなると、渦中の「カジノ」さえ、運営は民間がやるにしても、莫大なカネが動くので、大阪府の松井知事が目論むように税金という形で自治体の収入は上がるのだろう。
参加者は賭けごとを通じての「社会貢献」をするわけです。
「依存症」になり、「家族崩壊」を起こさぬよう気をつければ立派な「社会貢献」というわけです。
「〇〇競輪」「△△競艇」のように行政自体が運営主体となり正々堂々と実施しているものもあります。
主催者が私的な賭場で、「さぁ丁か、半か。どっちでござんす」とやるより、公的にしきられ、その収入が税金のように入るのはみんなのためにはなる方がカッコウがつくというものでしょうか。
ずっと前に記事にも書いたことありますが、勤めていた社会福祉施設の建物改築のとき、費用の多くを「日本財団」(旧名を「船舶振興会」といい、競艇からの収益を財源)に補助(寄付)してもらいました。寄付を受ける立場としては「福祉がギャンブルから資金供与…」ということで多少は引っかかりましたが「背に腹は…」。大口の寄付には、遊戯共同組合(パチンコなどの事業組合)、それに風俗店(当時は「トルコ風呂」。「ソープランド」とよばれていたらしい)の事業組合も含まれていました。
(国や自治体が、こっちが苦労しなくてもいいように費用を出してくれれば、なにも日本財団のPRのために
【日本財団さんのホームページよりお借りしました】
マークを建物や公用車などに貼らなくてもいいのです。私のところは入所者は子どもだったので、大きい子はこのマークを貼って走る車には乗りたくないと、よく職員を困らせたものです。
こういうの、けっこう走っているのを見かけませんか。それだけ、行政がたいせつな医療や福祉を民間任せにしているということです。ギャンブルのしくみを逆手にとって)
また国は「年金機構」というものを作り(役人の天下り先を用意するばかりではなく)、国民の尊い年金の運営を任せた。
集めた年金資金を「投資」という「金融商品」に変え、市場に投げこんだ。
結果、大損をした。だが、「国民のみなさま、すみませんでした」の記者会見でおしまい、幕は引かれた。
もちろん、目的は増やすことだったのでしょうが。
だが、投資はバクチ、賭けごとと本質は同じだ。
これをもっともっと大々的に国や自治体はやろうとしています。「丁か半か」とケタが大違い。その名を先に述べましたが カ・ジ・ノといいます。
・「ドラッグ」‐脱法(がなんで「合法」とよばれるんでしょうか)ハーブがだれでも手軽に入手できる現代。
こっちも警察の摘発、取り締まりの対象になりやすく、テレビでは警察ドキュメンタリーの定番。
風俗のほうの、事前の調査・証拠の積み上げなどの周到なる準備と張り込み・いっせい検挙という大がかりなものとは違い、こっちのほうは巡回のパトカーによって不審な動きをする車などが、警察犬のような鋭い感覚をもった「自動車警ら隊」(警察内部では「自ら隊」《じらたい》と呼ぶそうです。私はテレビをみているとき「《じ・ら・た・い》と聞えるけど、漢字で書くとどうなるのか?と思っていた)の職務質問で2,3人の警官によって薬物が押収される(もちろんその前に薬が違法な薬物であると、試験管に溶かして入れられ、リトマス試験紙みたいなものの色が変わることを容疑者にちゃんと確認させる)。
抵抗し、声を張りあげる容疑者もいるが、どこにでもいそうな「普通」の人が捕まる。
芸能界の人が逮捕されれば社会的な影響が強いということで、芸能ニュースやワイドショーのネタだけでなく、NHKのニュースなどでも報道される。
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国や自治体。すなわち公権力はその時々、その場所で、自らの都合のいいようにルール、法律を変え、社会の秩序安寧を大義名目として、社会啓発、クリーンキャンペーンをはるなど人々の意識改革をはかる。同時に、法制度もたびたび改変・更新をくり返し、締めつけ強化で社会「悪」を「浄化」する。「漂白」する。
しかし、風俗業、賭博、ドラッグなどは社会の隅に追いやられるも、厳然として存在し、公的にとりしまれればますます巧妙に(法制度のスキマをかいくぐり)闇に潜りこんでいく。
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本の半分も読まずして、私は思った。
「人間はいろいろあるんだ、多様なんだなぁー」というあたり前のことをあらためて痛感した。
しかし、この「いろいろ」は見すごしてはいけない。
先に書いたように、ブログの世界でも毎日のように人は多様なんだなと感じている。いまの自分にはわからなくても、何かのきっかけ(偶然のようなもの)があれば読者さんが書いておられることをよく理解し、強く共感できたかもしれない。
何でも自分のこととしてとらえ、考えてみなければならないと思う。
飛躍するけれど、私は、たとえば(女性に生まれ)風俗嬢になったかもしれない。若い女の子を風俗店に紹介する仕事をしていたかもしれない。
いや、お客さんになったかもしれない。