カメキチの目
若いときは、(よくいわれるが)時間に「追われている」
という感じだった。
働いていたときはなんやかんやとあり、じっくり何かについて考えるということはむずかしかった。
(人は忙しくしているとき、働きざかりは、何かの刺激を受けての反応なのなら
「感じる・思う」ことくらいはできても、「考える」のは疲れるし
面倒くさいので、そこまではあまりしない《少なくとも私はそうだった》。
逆にいうと、「考えない」ために忙しくしているのかもしれない)
ボゥーとする時間さえもったいなく感じられる。
私は本気で、「寝ている分だけ生きている時間が
失われる」とさえ思っていた。
仕事しているときの事故で身体に障害を負った。
あのとき身体の状態は、SOSを発するまでは行かず
とも、「休め!やすめ」といっていたのかもしれない。
(「過労死」する状態というのは、すでに「休む」ということが頭に入らなくなっているいるのだと思います《そこまで追いこまれている》。たとえ、入っていたとしても「自分のため」ではなく、「仕事のため」「会社のため」)
休んでこそ、さまざまな「良きこと」が生まれる
だけではなく、休まずムリすれば身体をこわし、
最悪、死ぬ。
仕事などに集中することは、それはそれでたいせつだろうが、たまには息抜きし、何かを考えるということが必要だと思う。
自分の世界を飛びだしてみる。
世界は広く、深い。
----------
自分の存在は、自分の人生は、自分だけのものでかけがえのないだいじなもの。
だいじであっても自分だけの世界はあまりに小さく狭い。
誰でもそうだ。天から与えられたのはみんな平等。
一日24時間。
それを少しでも広げ、深めることに寄与してくれる
読書(だけではありません)。
読書そのものは現実の行為であっても、
本に書かれている世界を現実に体験するわけではない。
そういう意味あいでは、「虚構」「仮想」である。
しかし、荘子の「胡蝶の夢」のように、夢の中の自分が現実であり現実のほうが夢なのかと
勘ちがいしそうなこともあるように、「虚構」「仮想」を含めての「広い現実」を私たちは生きているのではないだろうか。
(「読書」ということに直接には関係ない話ですが、
先に北方領土返還をめぐって「戦争」発言した国会議員《どうやら「戦争」だけ
ではなさそうですが》。あの発言は酒の席のことだと弁明していましたが、
酒が入った発言だからこそ「本音」と思われていることにどうして気がつかないのでしょう《「確信犯」?》。
彼は学歴などから「選良」意識《という虚構》を持ち、それに完全に
とらわれていたから、ああいう滑稽な姿を演じたのかと思いました。
「選良」意識だけではなく《逆も》、人は「『虚構』の世界」を信じて生きている
のだと強く思いました。
自分を「偉い」と信じる尊大な心がどんな悲喜劇を生みだしていることか…)
----------
(著者は若杉冽という東大法学部卒の霞が関キャリア官僚《本が書かれた2013年
時点では現役》)
2011年3月、東日本大震災で歴史に残る原発の重大事故が起きたのにも関わらず、多くの国民にほとんど知られる
ことなく、「巧妙に」としか表現のしようがない
政・官・財の「裏」「闇」取引、策略を通して、
原発再稼働に向けての動きがなされた。
それをきわめてリアルに(だからドキュメントという表現手法でも
できたのだと思われた)小説という形で描きだしたもの。
次のような宣伝文句の帯がかけられていた。
現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!!
「原発はまた、必ず爆発する!」
日本を貪り食らうモンスター・システム!!
ーーーーーーーーーーー
【引用】
P49
こうしたポストは、もともと関東電力を頂点とする関係企業で組織する「東栄会」の資金で維持されていて、単に割り当てていた人材が替わるだけだから、誰の懐も露ほども痛まない。電気料金の形で大衆から広く薄く回収されたカネが原資だ。
官僚主導から政治主導へ、政治献金の廃止、政官財の既得権トライアングルの打破、といった公約をマニフェストに掲げて政権交代を実現した民自党であるが、実際に政権を奪取した瞬間からメッキが剥がれ始めた。
その原因として挙げられるのは、第一に、議員の資質である。
引用部分は全部で319ページの単行本の初めのほう
だったが、私は思わず付箋を貼った。
本は付箋だらけになった。
キリがないので引用はここだけにとどめた。
胸にとくに響いたのは「議員の資質」という言葉。
(「資質」は議員に限りません。政党そのものにも感じます。
先述の戦争発言したボクちゃん(いえ若造、いえ若い)議員の属する野党も
ありますが、大与党自民党議員の資質劣化《私の読む本のすべての著者は
「劣化」と呼んでいます。「低下」じゃなく「劣化」なのです》ははなはなだしい)
国会(立法府)軽視、内閣(行政府)重視、本来は法の番人
であるべき最高裁判所は任命権を通じて完全に内閣に
取りこまれ、政権はますます横暴になっている。
一般国民の世論形成に大きな力を持っているはずの
メディア・報道機関の幹部は赤坂(どんなところ?)の
高級料亭で政府要人の接待を受け、(そんなジャーナリズムの姿も「劣化」)「社会の木鐸」であることを放棄している。
政府官邸、霞が関の省庁や東電(いえ小説では「関東電力」でした)などの幹部連中が自分の利益、出世のために
どれほどつるんで悪だくみを考えていることか。
おなじみテレビの『水戸黄門』シリーズに面だけ
代わっても毎回でてくる悪代官と(彼から「オマエも悪よのぅ…」と言われる)豪商という「悪の結託」の現代版。
著者は、現役キャリア官僚にありながらも、
あるからこそわかる「悪徳」たちの裏、闇をリアルに
伝えてくれた。