カメキチの目
朝いちばんにすることの一つに、その日のテレビ
番組チェックがある。
時どきすばらしいのがあり、観おわって感動すること
も稀ではない。
なかには私の安っぽい感動なんか寄せつけない
深いもの、それからの生き方に影響を与えるものさえ
ある。
(若いときその番組に出あっていたらなぁ…と悔やむくらいのもあります)
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その日の朝、「鎌田實」という名前が目に入った。
「あしたも晴れ! 人生レシピ 『にもかかわらず』
番組HPにはこうあった。
【引用】 医師で作家の鎌田實さんが、今、最も大事にしている言葉が「にもかかわらず」。逆境をプラスに転化する言葉だと言います。常に、前向きに生きる鎌田さんの姿を紹介します。
鎌田實さんは「あきらめない」という言葉で
一躍有名になった。
私は「あきらめない」より、この人が自主的に
医療活動をされていることの方に惹きつけられて
いた。
(子どもは親を選べない、生まれるところを選べない。チェルノブイリの子はそこに生まれたくて生まれたのではない、と鎌田さんは言われる)
医師としての鎌田さんは、ずっと昔、「廃業」寸前の
諏訪中央病院(現在そこの名誉院長)を地域の中核医療機関に
育てあげただけではなく、上にあげたような
医療ボランティア活動に熱心である。
番組はその根本にある心を、ビデオ映像などを
まじえながら明らかにする。
道徳の授業に出てきそうな話が二つあった。
(涙を流したのではないけれど)泣けてきた。
① 鎌田さんの家はひどい貧乏だった。
母は心臓が悪く、父は人一倍はたらき、やっと
生活していた。
それでも高校3年生のとき、よほど鎌田さんは勉強が
好きだったようで、学費は自分で稼ぐので 勉強を
続けさせてほしい(大学に行かせてほしい)とお父さんに
頼みこむように言った。が、父から返ってきた言葉は
「貧乏人は勉強せんでもいい」。
その言葉に腹をたてた 鎌田さんは食ってかかり、
あやうくお父さんの首を絞め、殺しそうになるところ
だった。
後に(シブシブであっても)わかってくれ(ほんとうはわかっていなかったのかも知れない)、大学進学を認めてくれた。
そのとき、父は「これだけは忘れないでほしい。
いつも弱い人たちのことを考えられる人間になれ」
と言った。
② これは後年、鎌田さんが医師になって初めて海外に
渡航するためのパスポート申請で知ることになった
とても衝撃的な話。
じつは両親は実親ではなく、鎌田さんはふたりに
拾われたということ。
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これらの話を聞いて、ますます鎌田さんのファンに
なった。
「にもかかわらず」
父(「岩次郎」というお名前)は貧乏な生活にもかかわらず、
鎌田さんを拾い、わが子として立派に育てた。
両親への限りなく深い感謝の念、恩が番組ぜんぶに
流れていて、司会者の一人(もう一人はNHK男性司会者)は女優
加来さんだったが、涙をこぼす場面もあった。
(これで私の加来千賀子さんへの好感度は確実に上がった。
鎌田さんはさまざまな活動、取り組みをされていて立派だが、いっしょに観ていたツレは「鎌田さんを支えている奥さんも立派だね」と言うのを忘れなかった)
「にもかかわらず」。
厳しく、重い言葉だ。いいわけを許さないかのよう。
「にもかかわらず」、
いつも障害をいいわけにして、スミマセン。
お許しください。
オマケのいい話
①健康に口はとてもたいせつで、「パ・タ・カ・ラ」としっかり発音することは口の筋肉全体を働かすようで、ただ「パ・タ・カ・ラ」と発音を繰り返すだけでいいとのこと。
②「誰かのために」と1%だけでも思い、実践するといい。