『あずかりやさん』 大山淳子
という小説を読んだ。
(グーグル画像より)
小説はすばらしいとは思っても、自分の感性にとっての当たりハズレがあるので
よほど「読みたい」という気が起きないと読まない。
これはツレが珍しくすすめてくれたので読んだ。
読んでよかった。
おもしろかった。
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「あずかりや」というのは、何でも(物だけでなく人間も)預かる店だ。
(「預かる」ということに特化した便利屋さんという感じ)
1日100円、何日・何カ月・何年でも可。ただし前払い。
約束の期限内に取りにこなければ処分する。
(「処分」といっても人を殺したり、その遺体を捨てたりするわけではありません)
店主は物腰が柔らかくて誠実な視覚障害の若者である。
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「あずかりや」という、商売が現実にあるのかないのか知らないが、
あればおもしろい、あれば助かる人が結構いるだろうと思った。
現実にはなくても小説は、想像、虚構で可能にする。
続けて思った。「小説はすばらしい!」
本は「あずかりや」をめぐる心あたたまる物語がいくつか編まれていた。
それぞれの話は読まれる方のお楽しみにあずからせていただいて、私の心に深く
響いた言葉だけ三つ紹介します。
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【引用】
① 「ラブレター」より
「入院中に突然いなくなる子がいる。
昨日まで一緒に本を読んでいた友だちがいなくなっても、おとなたちは説明しないし、
わたしたちも聞かない。
死はわたしたちにとって明日のことかもしれないのに、死そのものは伏せられるの。
死んだ姿や、家族をなくして悲しむ人の姿もそこにはない。
病院ってそういうところ。
ある日ふと消える。それが自然のことのように思えてくるの。…
だって当時のわたしは、病気ではない自分を知らなかったし。
わたしもいつかいなくなるのだと、ぼんやりと思っていた。…」
② 「ツキノワグマ」より
「「寿命が来る前に捨てるって、人として、間違っているんじゃないかと思うの」
相沢さんは地球環境などと小賢しい言葉を使わず、いつも感性でものを言う。
そこそこ真理をついているから、あなどれない。…」
③ 「高倉健の夢より」
「当のマンションの住人は金周りが良いらしく、まだ使えるものがたくさん捨てられる。
管理人はそれが気にいらないらしい。
「人は絶え間なくものを買い、絶え間なく捨てる。
無駄遣いが経済を回し、この国を支えていると思うと、空恐ろしい思いがするよ」…」
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①
白血病、他の小児がん、世間にあまり知られていないさまざまな病気で
長い期間を病院で過ごさなければならない子どもたちがいる。
「いのちの尊さはみんないっしょ」「いのちを長さで比べられない」とは言っても
子ども、若い人は生きてきた時間が少ないという事実を(自分が老人だからか)
どうしても強く感じてしまう。
(現代のオリンピックのあり方に大反対でも、池江璃花子さんのニュースを聞いたりすると複雑になる)
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②、③
(注:③の「高倉健」というのは、有名な映画スターにちなんでそう名乗る、この物語の登場人物名)
「もったいない」という言葉を発明した昔の日本人はすばらしいと思う。
そんな日本の文化が少しはわかってきた気がする。
(「わびさび」という日本の美意識は「もったいない」から来たのでしょうか?
もったいないと感じる気もちがなければ、貧相、不足のなかに心の充実・美を見いだそうとはしない
《外国にも同じような文化があるのだろうか?》)
モノが豊かな世の中になってから、まだまだ使えるモノを、ちょっと修理すれば
使えるモノを、私たちは平気で捨てるようになった。
モノは溢れるようにある、という現実があるから、もったいないとわかっていても
そうしてはいけないとわかっていても捨てる。
(しかし「持続可能」という考えが行きわたり、ゴミも分別、リデュース・リユース・リサイクルが
あり、「ブックオフ」や「メルカリ」などの商売もあります。
また、生活のため農畜産などの「もったいない」《価格維持のため》ことをしなくてはならない
ジレンマをなくすため、生産者と消費者とを結びつけてそれぞれの必要を調整する仕事や、
車などの「シェア事業」もあります。
これらの取り組み、事業は、形はさまざまでも、みんな「もったいない」心から生まれている)
「地球環境」「持続可能」…と言わなくても、相沢さんや管理人さんのような
自然に湧きあがるような感覚を尊ぶ。
(仏教の言葉に「自灯明法灯明」があります。自分を灯明《道しるべ》とし、法《自然》を灯明
《道しるべ》としよう、ということ。自分の心の奥底から湧いてくるものはたいせつにしなければ)