カメキチの目
8月7日の朝、NHKニュース(特集)で1953年制作の
映画『ひろしま』のことを伝えていた。
(地獄絵図の悲劇からたったの8年で、いや8年しかたっていないから、あれほど
凄まじい映画が撮れたのだろうか。
《8年といえば、ことしは東北大震災から8年目》
8年たってアメリカ軍の占領《駐留》はなくなってはいても、アメリカに遠慮し
「忖度」し、「反米的」だということで一般の映画館では上映されず、細々と
小さな独立系の映画館などで自主上映されてきたとのこと。
67年間も、忘れ《隠され》続けてきたのだ。
実際に被爆した人びとをふくめ、一般市民8万8千人が手弁当で撮影に協力した
という前代未聞の映画)
じつは、こうして記事を書こうと思ったのは、
この朝のNHKニュースの女性キャスターさんが
話した言葉、「映画『ひろしま』を大勢の人たちが
目にしていたら、今のような核保有状況は生まれて
いなかったと思います」
という意味のことを言っていたのが、いつまでも
心に残ったから。
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この記事、もうちょっと書こうと思い、グダグダと
考えていたら、いつも心に引っかかっている思い、
考えが浮かんだ。
好きなサスペンス・刑事ドラマなどによく出てくる
「強者の論理」(いわゆる「トカゲのしっぽ切り」もこの仲間)だ。
「強者の論理」と仰々しい言い方をしたけれど、
要は100匹の子羊を生かすためには1匹が犠牲となり
殺されるのはしかたないというやつ。
国民からの信頼を裏切らないために「モリカケ」は
あってはならなかったし、警察の信頼のためには
「冤罪」もあってはならない。
(「森友事件」では、担当に当たった近畿財務局の人が自殺し、
冤罪はそれ自体がテーマになるほど、サスペンスによく取りあげられる。
「強者の論理」は、なにも国家・警察などの「組織」の独占ではない。個人にも
ある。
自分自身に都合の悪いことは、事実であっても見ない。隠す。もみ消し、
なかったことにする)
天下周知の事実なのでなかったことにはできない。
そこでアメリカは考えた。
「アメリカ国民だけでなく、日本人にこれ以上の
戦争犠牲者を出さないために」はしかたがなかった、
と。