カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.8.21 映画「ひろしま」

        カメキチの目

 

8月7日の朝、NHKニュース(特集)で1953年制作の

映画『ひろしま』のことを伝えていた。

 

 

(地獄絵図の悲劇からたったの8年で、いや8年しかたっていないから、あれほど

凄まじい映画が撮れたのだろうか。

《8年といえば、ことしは東北大震災から8年目》

8年たってアメリカ軍の占領《駐留》はなくなってはいても、アメリカに遠慮し

「忖度」し、「反米的」だということで一般の映画館では上映されず、細々と

小さな独立系の映画館などで自主上映されてきたとのこと。

 

67年間も、忘れ《隠され》続けてきたのだ。

 

実際に被爆した人びとをふくめ、一般市民8万8千人が手弁当で撮影に協力した

という前代未聞の映画

 

www.youtube.com

 

 じつは、こうして記事を書こうと思ったのは、

この朝のNHKニュースの女性キャスターさんが

話した言葉、「映画ひろしま』を大勢の人たちが

目にしていたら、今のような核保有状況は生まれて

いなかったと思います」

という意味のことを言っていたのが、いつまでも

心に残ったから。

 

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 この記事、もうちょっと書こうと思い、グダグダと

考えていたら、いつも心に引っかかっている思い、

考えが浮かんだ。

 好きなサスペンス・刑事ドラマなどによく出てくる

「強者の論理」(いわゆる「トカゲのしっぽ切り」もこの仲間)だ。

「強者の論理」と仰々しい言い方をしたけれど、

要は100匹の子羊を生かすためには1匹が犠牲となり

殺されるのはしかたないというやつ。

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 国民からの信頼を裏切らないためにモリカケ」は

あってはならなかったし、警察の信頼のためには

「冤罪」もあってはならない。

(「森友事件」では、担当に当たった近畿財務局の人が自殺し、

冤罪はそれ自体がテーマになるほど、サスペンスによく取りあげられる。

「強者の論理」は、なにも国家・警察などの「組織」の独占ではない。個人にも

ある。

自分自身に都合の悪いことは、事実であっても見ない。隠す。もみ消し、

なかったことにする)

 

 アメリカのヒロシマナガサキへの原子爆弾投下は

天下周知の事実なのでなかったことにはできない。

 そこでアメリカは考えた。

アメリカ国民だけでなく、日本人にこれ以上の

戦争犠牲者を出さないために」はしかたがなかった、

と。

 

 

 

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                             ちりとてちん

 

 

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