カメキチの目
『ゆるく考える』から、きょうは、
②「困難と面倒」。
著者、東浩紀という人は40代後半です。
この本の中のいろいろな話題を読むと、私の世代にはあまりなじみのない
「オタク」や「サブカル」といった文化の言葉がよく出てきます。
いまの社会の中核にある人たちの趣味嗜好、興味関心、ものの感じ方や考え方など
(一部とはいえ)それとなく伝わってきます。
ひと言でいえば、のびのびと自由な発想で、物事を決めつけないでみる。
好きなことを見つけ、楽しむ。
著者が、ソクラテスを現代によみがえらせたような話
だった。
「困難と面倒」は、溢れる情報に支配されがちな
現代社会に生きる著者のような家族や友人知人という
身近な人たちをだいじにする生き方を教えてくれる
話で、とても共感した。
----------
【引用】
ソクラテスにむけられた非難は要は、おまえはなんかあやしい、嫌なことをいう、
みんなの空気に水を差す、だから死ねというものである。
犯罪の具体例はなく、噂による感情の暴走だけがある。
それは、現代のSNSで頻発するリンチとまったく変わらない。
対するソクラテスの法廷弁論はじつに論理的なのだが、
もっとも心を打つのは、彼が、(みんなが)論理では勝てないことを
よく承知し、それについてもはっきり語っていることである。
彼は、人々が論理を選ばないことをよく知っていた。
(註:()の追加と赤字はこちらがしました)
②「困難と面倒」
【引用】
(情報技術にあまり大きな期待を寄せていない)かわりになにに期待すべきか
といえば、最近は、家族や友人など、面倒な小さな人間関係しかないのではないか
という結論に至っている。驚くほどつまらない話だが…
(人生にトラブルはつきもので、それをsnsで発信しても))SNSの支持は
ほとんど役に立たない。
匿名の支持者は、トラブルの話題自体すぐに忘れてしまう。
あっというまに集まった人々は、同じくあっというまに離れる。
そこで継続的に助けてくれるのは、結局は面倒な人間関係に支えられた家族や
友人たちだったりする。…
その困難を時間をかけて解消し昇華することで、はじめて自分も相手も社会も
進歩するのだ。けれども、いまのSNSにはそのような熟成の余裕がほとんどない
…
そしてぼくを変えることができるのもおそらくは彼らだけだ。
その小さく面倒な人間関係をどれだけ濃密に作れるかで、
人生の広がりが決まるのだと思う。
(註:()の追加と赤字はこちらがしました)
深くなんどもうないた。
著者が述べているのSNSについてであり、
ネット一般の話ではない。
ネットについては、その人間社会における画期的ともいえる意義について、
『ゆるく考える』の全体を通じて言われていました。
ネットの有無は、それが無かった昔とある現在を
さまざまな世界において「画期」となっていることを
本の随所で述べられていた。
よく「リアル」に対して「バーチャル」といいいます。
しかし、「仮想」「想像」「幻影」「イメージ」…を常に抱いて生きているのが
人間の「現実」というものだから、「リアル」と「バーチャル」は対立するもの
ではないと思う。
ただ、SNSがどれほどすばらしいものであっても
「ぼくを変えることができるのも…彼らだけ」
「その小さく面倒な人間関係をどれだけ濃密に
作れるかで、人生の広がりが決まる」
ネット、SNSという環境が、あたり前になった現代
若者にとってのそれは、空気のようなものだろう。
長くアナログで育った私は感覚的にうまくなじめないけれど。
その新たな「空気」を呼吸しながら、ネットなどの
環境の落とし穴はちゃんと見すえながら、
家族をはじめ身のまわりの人間関係をとてもだいじに
されている。
「面倒くさい」のは人間関係だけではない。
仕事を辞めると人間関係はとても薄くなる。
「面倒くさい」のがなつかしくなるくらい。
いまの私はトイレに行くことさえ面倒くさい。
こんなことではそのうち、息するのも面倒にならないとは限らないと思った。