③ 「フィルターバブル」
ネットそのものは「何でもござれ」と開放的だ。
好きなものは自分で選び、アクセスすればいい。
嫌いなもの,、どうでもいいものは無視するだけ。
「リアル/バーチャル」という区分けからいうと、リアル世界はイヤでも
こなさなければならないことがあったり、イヤでも会わなければならない人が
いるけれど、バーチャルのネット世界は好き、必要とだけとつき合えばいい。
その姿は外から見れば、あるバブル(=泡ですが、いまはネット)に閉じこめられて
いるみたい。
【引用】「ネットは、人々をつなげて相互理解を深める一方で、決まった輪の中で、お互いの殻、
いわば「フィルターバブル」の中に閉じこもる傾向が助長されやすい。
自分の見たいニュースだけが見られる「ニュースの個別化」…」
ネットのすばらしさの大きな一つに、自分の知らなかった多彩多様な世界に触れ
(知らないでアクセスし、ときには不愉快になることもあるが)新たな発見の驚きや喜びを
感じることがある。
ところが、実態は
【引用】「ただでさえネットでは自分の知っていることをもとに検索することが多いため、
新聞を眺めて「こういう記事があった」という偶然の発見が少なくなるのではないだろうか。…」
(しかし逆に、「ネットサーフィン」で「偶然の発見」は増える?)
また、ダマされやすく、ウソもつきやすくなった。
【引用】「誰もが発行者となりえる「ネットジャーナリズム」の時代には、レイアウトを整え、
「本物に見えるニュース」を誰でも発信できるようになった…。
取材をもとにしたジャーナリズムと個人のブログ、広告記事との区別さえつかない読者が増えた…」
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『デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義』にそって言えば
【引用】「自分たちの視点に合っていればそれでいいと判断してしまう。
彼らは、自分の偏見を偽ニュースで確認し、「やっぱりそうだったのか」と思いたい…」
本では「彼ら」というのは「保守層」「トランプ支持者」を指している。
が、誰でも自分のお気に入り「フィルターバブル」(「革新」「リベラル」は
そこの「フィルターバブル」)に閉じこめられている
と言えるかもしれない。
(生きていることは必ず、何か、どこかに身心を置いている、属している、とらわれていること。
そういう自分のあり方を、自分自身を疑ってみることを忘れてはいけないと思った。
「メタ認知」ということかな)
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仕方ないとはわかっていても、次の引用を読むと、ネットの未来を危惧する。
自分のいない世界、ずっと先のことではあっても想えば憂鬱になってくる。
【引用】「ソーシャルメディアに慣れ親しんで育ってきた若者は、情報源を確認し、
その内容が本当であるかどうかを調べようとはせず、ソーシャルメディア上にある情報を鵜呑みに…
いまはまだアナログ世代とデジタルネイティブ世代が共存している。
あと一、二世代が過ぎれば、完全にアナログ世代がいなくなる。
そのとき、デジタルネイティブ世代の住む世界はどうなっているのであろうか…」
(社会のことを想えば憂鬱・悲観しても、個人的な身近なところでは「人間っていいなぁ!」と感ずる
ことが転がっている。それに気づくたび、憂鬱・悲観は少しは消えてくれる)
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④ 「操作される世論と民主主義」
「国民投票」を、「直接民主制」だからいいものだと単純に私は思っていた。
ある政策、課題について、実行するか否か、〇か✖を、成員すべてに問う
(ということは国民のだれもが政治に参加することになるので)ことはすばらしいけれど、
「地方自治」のような狭い範囲ではなく、憲法改正のような国民的なそれは
危険だということを、著者・福田直子さんは自分が住んでいるドイツを例に
挙げ、わかりやすく述べておられたところが強く心に響いた。
(ユダヤ人の絶滅をはかったヒトラーが民主的な選挙で選ばれていたという事実を深く反省し、
国民的な大問題は直接民主制によるのではなく、さまざまな立場の人々による徹底した熟議によって
決める間接民主制を採っている。
先日、NHKニュースで、NHKが実施したアンケート調査《私は調査そのものがどのように行われるかで
それ自体が「プロパガンダ」になると思っている》では「憲法改正」に賛成が50何%と、半数を超えて
いた。「憲法改正」のような大問題が国民投票によってなされることを著者は強く危惧していた)
【引用】「ドイツに国民投票がない理由
国民投票は、直接民主制の一つとして、いかにも民意を反映するかのように見える。
しかし、イエスか、ノーのどちらかで白黒を決めようとする国民投票では、
事前に行われるキャンペーンにおいてプロパガンダが連発…国民が扇動される危険性を孕んでいる。…
間接民主制においては、急進的・排外的法案が可決されることは簡単ではない。
他方、直接民主制の国民投票でいざ可決されてしまったことは、たとえ投票率が低く、
「少数票」であったとしても「国民が決めたこと」として、議会のチェックバランス機能を超越…
大多数のドイツ人は公共放送や既成メディアのニュースを信頼できる情報源として重視し、
もしフェイスブックがなければ、ISが欧米で暮らす若者にシリアで戦うよう勧誘することは不可能…
ソーシャルメディアは過激派の人材を集める「リクルートマシーン」としても利用されている…」
(アメリカ大統領選出方法は一部間接民主制を採っているが、基本的には国民一人ひとりが投票する
国民一人ひとりに大きな影響を与える「ツイッター」がなかったら、
トランプが大統領に選ばれることはなかっただろう)
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本の最後のほうにあった「ネットがもたらす世論の構造的転換」という、
これも刺激的な一文を紹介して〆とします。
【引用】「ネットがもたらす世論の構造的転換
ネットでは「小さな運動でも大きく見せようとする」ことが試みられ、偽アカウントやボットも多い…
テクノロジーが短期間に突然、世論を変える可能性があることは、現実になり始めている。
個々の判断がネットの影響とはまったく関係ない市民の冷静な判断であったとは言いきれない。…
しかし、「ネットプロパガンダ」が選挙や国民投票などで人々の決断をどう変えたのかを測ることは
不可能である。
長期的に見れば将来、ネットが「世論の構造的転換」をもたらす大きな要素となるかもしれない…」
〈オマケ〉
【引用】「グーグルの元社員ハリスによれば「私たちは自分で思っているほど個人の意思で行動、
決断しているわけではない」…ネットの使いすぎは、脳が分析されて乗っとられる
「ブレインハッキング」のようなものだとさえ言う…」