カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.7.20 バーチャルで「自己実現」?

2回目、おしまいです。

 

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【引用】

①「人々が現実の世界に失望し、バーチャルな世界で自己実現したいという欲求が高まっている。

それをポピュリズムはうまく利用しています。

現実の世界は厳しいけれど、ネットで悪口を書いて相手が炎上したら勝ったような気分になれて、

ますますやめられなくなる。…

パチンコ屋さんの大音響と同じですよね。あまりに騒がしい中にいると判断力が停止してしまう。

それがポピュリズムの力の源泉になっているような気がします

 

②「逆に言うと、インターネットで(人々の欲求が丸裸になったことで)社会がリアル(本当の姿)

近づいたんですよ。

自己愛とか承認欲求とか競争心とか、そういうものは教育とか倫理とか、いろんなもので縛ってきた…

ネットでそのタガが外れたということでしょう

 

③「バーチャルといわれている世界で、人間の本音、本性が出てきた。自己愛とか承認欲求ですね。…

不安のない状態でいる権利があると考えている人が多い…そういう状態にさせている相手が悪いと…

(自己愛とか承認欲といった人間の心理をうまく利用して)人びとをSNSから抜けられなくさせるよう

できています(→グーグルなどが儲かる仕組み)」

 

(注:「」(黒字)、①~③、赤太字はこっちでしました)

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① 「バーチャルな世界で自己実現

養老さんは物事を思い考えるとき、ともかく身体から発想しなければならない

といわれる。「脳」(バーチャル)より「身体」(リアル)というわけだ。

 

そうだけど、私は「自己実現」自体は自己満足のようなものだと思うので、

「満足」は心のはたらき、作用なので、もともと「バーチャルな世界」でのこと

だと思う。

 

けれども著者がここでいわれていることはあくまで忠告。

ネット上で「自己実現」できると思ったら大違い、ひどい目に遭うよと。

(そもそも「自分を実現する」とはどういうことだろう? 

 

ここでは「ポピュリズムはうまく利用…」と、養老さんにしては珍しく政治的なことをいわれている。

《政治・社会のことはあまりに「脳化」した問題と考えられているからだろうか、ふだんはほとんど

政治的・社会的なことは書かれない。少なくとも私の読んだ本のかぎりでは》

 

「言葉」ほど「脳化」したものはないと言葉にとても厳しい。しかし自分の考え、思いを他人に

伝えようとすれば言葉を使うしかない。だから、言葉の上っ面だけで物事を判断することの弊害を

よく強調される。で、ご本人は耳当たりのいい言葉を使った表現はされない。「ぶっきらぼう」な

表現が多い、気がする)

 

  「パチンコ屋さんの大音響と同じ」。

若いころパチンコをしたことあるのであまりに騒がしい中にいると判断力が停止してしまう

実感できる。

 

話が変わりますが、著者の生きる姿勢を貫いているものには二つあることを強く感じます。

一つは「身体から」 

う一つは「自分の頭で考える」ことです。 

この本の終わりのほうで養老さんは、自著『バカの壁』からバカについてこういっておられました。

【引用】「どうしたらいいか書いていない」と批判するのは、教えてもらわなかったら自分は

何もできませんと告白しているようなものなのに、そのことに気づいていないんです

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②「ネットでそのタガが外れた

ここの部分を読み、「インターネットはやっぱり革命的なんだ」とあらためて

感じた。

よく言えば、知ろうと思えば「たいていのことがわかる

(わるく言えば「あまりにもあからさまになり、知りたくないことも知る。秘密がむずかしくなった」

ことです。

 

また話が変わりますが《ネット社会について書かれた本にあった》、何かを知ろう、調べようとしての

ネットへのアクセスは、逆に、そのことを通じて自分自身をネットという公的に開かれたな場に

晒すことになっているということで、「自分」も誰かに見られ、知られているとのこと。

「個人情報・プライバシーの保護」、「著作権の保護」…問題は山積みらしい)

 

でも善も悪も含めて、人間の(本性かどうかはわからないですが)全部が見えてきた、

わかりやすくなったということはいえそう。

社会のありのままが見えてきた。

(その「道徳」「倫理」という行動規範がホンモノか、メッキで固められたウソ偽りだったのか、

ネットはリトマス試験紙の代わりをしてくれそう)

 

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③ 確かに、ネットというバーチャル世界にダマされやすい。

自己愛」や「承認欲求」が利用されやすい。

 

しかし、ダマされる、利用される危険を承知し、注意を怠らず、ネットとうまく

つき合ってゆくことをたいせつにしたい。

 

自己愛」や「承認欲求」など、個人としての自分自身をたいせつにする

ことは生きるなかでいちばんだいじにしなければならないことだ。

 

「リアル」「バーチャル」と分けても、すべてはしょせん自分という(なま)

リアルの人間の、生きている間のものごと。

自分を愛し(ということは他人を愛し)自分を認める(ということは他人を認める)ことに

全力を注ぎたい。

(そのことが「具体的にはどういうことなのか?」。誰も自分で問わなければならない

私は目が回ってフラフラするこの身体と、働きの鈍いこの頭で問うしかない)

 

 

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                            ちりとてちん

 

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