カメキチの目
NHKBS-1スペシャル『ジャパニ~ネパール出稼ぎ村の子どもたち』という番組
を視た。
このドキュメンタリーはネットでたくさん紹介されていますが、
グーグル検索のはじめの方にあったのをコピペで引用します。
【引用】
改正入管法が施行されて一年、日本各地で隣人として
増え続ける外国人労働者たち。
彼らはどんな人生を背負い遠い異国の地で暮らしているのか?
来日して12年になるネパール出身の映像作家が母国と日本を
何度も往復しながら見つめた移民家族のドキュメンタリー。
夫はカレー屋のコック、妻はホテルのベッドメイキング。
池袋の狭いアパートに住む夫婦の故郷は、ネパール西部、
ヒマラヤ山脈を臨む美しい村。
ガルコットと呼ばれるその地方は、働き手の半数以上が
日本へ渡り、急速に過疎化が進んでいる。
現地では、日本へ渡った両親やその子供のことを「ジャパニ」
と呼ぶ。ネパール語で、「メイド・イン・ジャパン」を
意味する言葉だ。
産業に乏しい村で、日本へ出稼ぎに行くことは収入を得て
成功する可能性を秘めた「憧れ」の対象だ。
しかし一方で、村から人がいなくなることへの複雑な感情も
この言葉にこめられている。娘のビピシャは生後3ヶ月で祖父母に預けられ、
実の両親の愛情を知らずに育った。
水牛や仲間たちに囲まれ、大自然の中でのどかな暮らしを
送っている。
9歳になった今、東京で働く両親は彼女を日本に呼び寄せ、
一緒に暮らしたいと考えている・・・。大都会・東京とヒマラヤの小さな村、まったく異なる
2つの土地に別れて暮らす家族の歳月を追う。
互いのきずなを取り戻すための苦難や、幸せを求めて葛藤する
姿を通し、富と貧困が交錯するグローバル化時代の人間ドラマ
を描く。
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とても考えさせられた。
多くの日本人が視たらいいなあと思った。
こんな番組が総合テレビのゴールデンタイムに放送されたら
すばらしい。
以下、(前と重なりますが)私流の紹介。
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「娘のビピシャは生後3ヶ月で祖父母に
預けられ、実の両親の愛情を知らずに育った」
ビピシャ(いま9歳)は、祖父母を父母と思って
育ってきた。
9歳なので自分の家庭の事情はちゃんとわかっている。
母は、ビピシャを出産するためにギリギリ
まで日本で働いてネパールに帰り、産んだら
3か月で(働くために)また日本に旅立たなければ
ならなかった。
母の仕事はホテルの清掃・ベッドメーキング。
ビピシャを産んだ当時も、このドキュメンタリーが撮られた
昨年(2019年)も、仕事がクビになっては生活していけないので、
絶えず仕事に気を遣っており、疲れとストレスでいっぱいだ。
(ドキュメンタリー撮影時のビピシャの来日は3回目。夏休みを
利用してのもの《7歳のときが初めてで、8歳のときが2回目》
母は最愛の娘と1年ぶりに会っても仕事は休めず、ちょっとの
時間しかいっしょに過ごせない《もっぱらの遊び相手は、体を
病むほど頑張って働いたおかげで親戚といっしょに店を出せた
コックの父。父は時間の融通がきくらしい》。
母は仕事でクタクタになるために生活しているように見えた)
両親は、ビピシャに日本に来てほしい、日本
での生活を好きになってほしい。
いずれはビピシャとともに暮らすことを夢みてる。
(この3回目の来日中の)ある日、父はビピシャに
東京の景色の(人工的な?)すばらしさを感じさせ
ようと(東京タワーのような)高いビルにのぼった
(冗談ではなく「ネパールが見える?」と父に聞くビピシャの
言葉が可笑しくも悲しかった)
また、「見るだけだよ」と嫌がるビピシャを
何とか説きふせ、ネパール人の学校にも連れて
行った。
その晩、「入学手続きをしたよ」という大人にはすぐわかる
ウソ(軽い冗談)を聞かされただけでビピシャは傷ついた。
泣いて入学を嫌がった。
最愛の娘といっしょに暮らせる見込みはたたないし、仕事の
辛さも重なり、母は自分はネパールに帰ったほうがいいのでは
ないかと迷い、日本での経済的に豊かな生活に満足している
夫とちょっとした夫婦のいさかい場面もあった。
もちろん両親とはいっしょに暮らしたいが、
ビピシャは大好きなネパールの村へ帰る。
番組のおわりのシーンは、友だちの少女と
いっしょに(上の写真のような)山の斜面の縫う
ような小道を上り下りしながら学校へ通う姿
だった。
いま、日本にいる両親は、他の在日ネパール人8000人とともに
新型コロナの影響をもろに被り、たいへん辛い目に遭っている
と番組はしめくくっていた。
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感じたことを、思いつくままに書いてみたい
■ 原風景
番組の最初に印象的な場面があった。
「山が見えない!」とビピシャが言う。
9歳の彼女にとって、山が見えない世界は
想像できない、耐えられないのだ。
赤ちゃん時代は別にして、幼いころからの
環境(自然だけでなく周りの人々を含めて)の決定的な
たいせつさを痛感させられた。
ビピシャは(母は産んで3カ月で日本へ行ったので)
祖母を「母」と思い慕って育った(祖父は「父」)
9歳のドキュメンタリー制作時も彼女は祖母を
「マミー」と呼ぶ。
(母は自分を捨てたと思っている。母が日本から電話しても
出ようとはしない。
でも、夏休みに東京に行き、会えば会ったで母にベッタリ!
どんなに強がっても、子どもは誰もお母さんが大好きなのだ)
「魂の故郷『原風景』」とよくいう。
それ(または「それらしきもの」)はその人にとって
人間にとって、とてもたいせつなものだと、
強く感じた。
『故郷』という歌があれほど国民に人気があるのにうなずく。
しかし、『故郷』に歌われる景色とは遠くかけ離れた、山河も
海もなく、舗装され、家々とビル、コンクリートに覆われた
人工的な街ではあっても、そこが幼い時代を過ごした場所なら
(「魂の」とまでいえなくとも)「原風景」になりえるのでは
ないのだろうか。
幼いころから周りにロボットがいればロボットも「原風景」に
取りこまれ、山が見えなければ見えない「原風景」が子どもの
心につくられていくのではなかろうか。
ビピシャ3歳くらい(「三つ子の魂百まで」)まで
には、(ちょっとムリをしてでも)両親は彼女を
引き取り、いっしょに暮していなければ
ならなかったのではないかと思った。
と同時に、人間(生きものはみんな)親を選んで生まれるわけ
ではないという宿命という事実の重みを感じた。
■ 個性
ビピシャはとても個性(というか感受性)豊かな
子どもだと感じた。
ビピシャだからこそ、経済的に豊かな東京で
両親と暮らすという魅力に、経済的に貧しく
不便でも、自然いっぱいの中での祖父母との
慣れ親しんだ生活、暮らしのほうが勝っている
ビピシャは「原風景」への思い、愛着感が決定的に強いのだと
感じた。そうさせているのは彼女の「個性」だと思う。
その「個性」の違いというものを感じさせるとても印象的な
場面があった。ビピシャが同年齢くらいの男の子と言い合う
ところだ。
男の子は「お金があれば何でも手に入る」「だから、日本へ
行ってお金持ちになるのだ」と言う。ビピシャは「お金では
買えないたいせつなものがある」と言う。
(まるで、大人が言いそうなことを二人の子どもが真剣に
言い合うのであった)
■ 日本がビピシャの親たちに住みやすい、
働きやすい国になるように
ネパールだけでなく、同じような似たような
悲劇は、他の経済的に貧しい国からの日本へ
働きにきた人たちにも起こっている。
ビピシャが大きくなってもネパールで生き、
順調ならばいいが現実社会の壁ぶち当たり、
「両親のいる日本へ行ってみようかな」と思う
日が来ないとも限らない。
彼女はいま10歳。あと10年したら二十歳。
10年はあまり長くないけれど、そのときの
日本が少しでもネパールの人たちにやさしいと
思われる国になりますように。