カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.12.25 生命に「原子力」はいらない

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 原子力発電はおかしい、なくすべきと前々から強く堅く思っている。

東北大震災時の福島の歴史的な事故もあって、その思いは信念にまで高まった。

理由は簡単であり、素朴であり、単純だ。

 

①平和利用のみに限る、発電手段としてだけといっても、人間はバカだから

いつなんどき戦争、大量殺戮に利用し、爆弾に転化するかわからない。

②それに、核のゴミ。最終処分の方法もわかっていない。

地底深く埋めて固め、放射線が漏れてこないようにするという(アナログ・原始的

とも言えそうなやり方がいちばん確実なのか)

AI、ロボット、バイオなどの先端技術があり、宇宙に飛び出そうとしている人類で

あっても

原発立地国で、日本のように地震が頻発しているところがあるだろうか。

 

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     (先日、初雪があった。こんな景色をいつまでも見たい)

 

最近読んだ本で、その思いを新たにしました。

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『日本の大転換』 中沢新一・著 という新書本

 

「大転換」と大げさな題名がついていますが、なにも日本に革命を起こそうと

いうものではありません。ましてや中国や北朝鮮のような自由と人権が極端に制限

された社会主義国をめざそうというものではないです。

「大転換」の主軸は原子力発電をしないことです。原発の廃止。

 

それだけで、根本から日本の将来が変わるだろうと。

 

原発の廃止」ということは、東北大震災での福島第一原子力発電所の事故以降、

あっちこっちでいわれていますが、著者中沢さんの廃止理由がとても新鮮な考えで

私としては初めて聞くものだったので、深くうなずかされた。

 

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本には、原子力そのものが、人間が人間であること、人が人として生きるうえで

根本的に間違っていることが強く述べられていました。

 

広大、無限の宇宙のなかで奇跡ともいえる地球。その地球で奇跡のように生まれた

生命であり、動物であるヒト=人間。

(太陽は、太陽圏の親として子である地球をはじめとする惑星を生んだ。そして、

地球は、生命を生み育んだ→「地球生態圏」)

 

本の後半に、「補遺 太陽と緑の経済」という項目があり、ここに述べられている

【引用】

生態圏を生きるほとんどすべての生命が、太陽からのエネルギーの贈与によって

存在している…

 

(注:赤太字はこっちでしました。以下の引用も同じ)

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本の最初には、原子力というのは地球生態圏に自然なエネルギー現象では

根本からありえない、太陽圏に属する(地球外部の)自然現象だということが

述べられる。

【引用】

核分裂反応を地上で持続させる原子炉は、それゆえ地球生態圏の外部の、

太陽圏に属する現象だとみなすことができるだろう。

その原子炉のイミテーションである人工原子炉についても、ことの本質は同じ…

 

たとえ原発の内部で、技術的に制御や閉じ込めのメカニズムが完璧に

作動していたとしても、ことの本質は変わらない。

生態圏の外部から無媒介に持ち込まれた現象を扱う装置として、

原発は人類のエネルギー革命の歴史のなかで、類例のないテクノロジー

 

その熱エネルギーを電気に変換する装置群や、原子炉をコントロールするのに

必要な電源を発電所の外から供給するシステム自体は、まったく通常の生態圏内の

「古典的」な仕組みでできている。…

原発システムにおいては、生態圏外的な仕組みと、生態圏内的な仕組みとが、

軽水(ふつうの水)や配管やコードや厚めの鋼鉄版などといった、古典的の域を

超えてむしろ原始的と言ったほうがいい素材で、媒介されているにすぎない…

原爆は科学者によって「制御不能になって暴走する原子炉」と定義…

 

「そういうことだったのか!…」と私はなんども膝を打った。

 

中・高のころ、理科の教師から初めて「核融合」や「核分裂」の言葉を聞いた。

核融合とは太陽が燃えて熱や光を出しているもの、火の玉のようなものだと

言われてもあまり理解できなかった。

小学生のころ、住んでいた地域の子ども会で原爆ドームや資料館をたずねたとき

原爆の酷さを痛感していたし、「火の玉」という言葉を広島や長崎の被爆者たちの

証言で聞いたことがあるので、核融合」や「核分裂」というものが幽霊やオバケ

妖怪、怪獣などは生きものだから、いくらおどろおどろしくても馴染めるけれど、

原子力だけはぜったいに馴染めないと思った。

太陽は一つでいい。 

 

福島の大事故が起きたとき、その後の対策・対応(勃発時の原子炉と周辺の装置、

建屋のことだけでなく、外部の放射能を浴びたあらゆる自然物人工物も)を

テレビでみて、そのアナログなやり方に驚いた。

・ 建屋のなかのコントロール室はハリウッド映画や未来を思わせるけれど、一歩

そこを出れば、タコのような配管、バルブだらけ。

(働いていたとき、燃料の油量や給湯温度のチェックのためよく出入りしていた

馴染みのあるボイラー室によく似ていた

メルトダウンを防ごうとして水で冷やす。

発熱でつらそうなわが子を、水枕をつくって下げようとする親の心配な姿を想った

・ 放射能は風に乗るので、遠くても東京は風下なので危ないのだった。

ーーーーー

【引用】 

全産業の見えない土台の部分には、太陽との贈与的関係が深くセットされており

その贈与関係の直接の産物である農産物や魚介類を「食べる」ことによって、

人間は生産やサービスをおこなっているのですから、

全産業の基礎には…贈与性が深く埋め込まれている…

 

本は、この記事で初めに引用した「補遺 太陽と緑の経済」に返ります。

私たちは原子力ではなく、太陽が与えてくれるさまざまな自然なエネルギーに

目を向けなければならないと述べられる

(本にはそれ以上のことは書かれていなかったが、私は、いくら現状より減った

としても、減った中で人間は生きていくべきだと感じた)

 

石炭・石油・天然ガスといった自然界の埋蔵エネルギーそのものは、太陽が人類の

感覚ではわからない長い時間をかけてタダで与えてくれた贈り物(贈与)である。

タダをいいことに、現代文明人は自分たちだけの際限のない欲望のために、ムチャ

クチャな使いかたを続けている。

ムチャクチャがいつまでも続けられる(持続可能)はずがないことはわかっている

はずなのに…

そのせいで地球温暖化を引き起したり、これらがエネルギーとしてだけでなく、

原材料として使われて製品となったプラスチックなどが地球を汚し、

ほかの生きものたちを死なせている。

 

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本を読み終えて思いだしたことがある。

 

若いとき、贅沢(この場合の「ゼイタク」は傲慢という意味。まだ使えるものを

捨てたり、「もったいない」ことを平気でするのはホントの贅沢とちがう)さえ

しなければ、住むところがあり、食って、着さえすれば(裸でも寒暖をしのげれば

別)生きていけると思った。

生活は簡素なものでも人間としてだいじなものを守って生きる、そのための一種の

ユートピアみたいなコミュニティ、共同体づくりがあることを知ったことがある。

だが私は、いわゆる「我が強い」「クセの濃い」人間だと自分を思っているので、

関心はあったが知るだけにとどまった。

 

 

 

 

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                            ちりとてちん

 

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