④【引用】
「人間には決して奪われないものがある、と
フランクルはいった。
運命に対する態度を決める自由と、もう一つは、
過去からの光だ。…」
(注:赤字、赤太字はこっちでしました。⑤⑥も同じ)
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先に「過去からの光」
「過去からの光」、なんというステキな言葉、響きだろうか!
前回の記事に書いたことにつながる。
愛しい人を想い、思いだせば胸が熱くなってくるような過去を追想すれば、
過ぎ去った昔の光の輝きが、いまの自分を照らしてくれるという。
生きるということは、自分がここで(この場所)いま(この瞬間)を過ごすこと
だから、いま現在に心を集中しなければならないと、私の好きな禅は教える。
で、過去(未来も同じ)にとらわれるな、こだわるなというけれど、
「過去からの光」を浴びることで生のエネルギーを得ている自分を自覚することは
いま現在を精いっぱい生きていることだと思った。
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次に「運命に対する態度を決める自由」
自分が障害者になったことでいえば、私は日頃から危険や事故に対する注意不足・
雑なところがあり、それが事故につながったという確信があったので、これは
「運命」とはいわない、「不運」ともいえない、単なる安全への注意不足・怠慢に
すぎないと思っている。つまり、「自己責任」だったと納得している。
だから、この事実への態度は自由に決めたので、自由な気がしている。
(しかし、自分の責任とは思えない原因が明らかにあったときは、それを責め、
自分の不運を嘆いていたに違いない。「なんでこんな不運に遭わなくてはならない
なんで?なんで?…」と)
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⑤【引用】
(1994年の中華航空機墜落事故で夫と両親を亡くした永井祥子さんの言葉)
「私は不幸な出来事には遭いましたが、私自身は
不幸な人間ではありません。
いま生きていられることが幸せだし、子どもたちと
ともに生活できるだけで幸せです。
事故後のただ一つの大きな成長は、小さな幸せを
見つけるのがうまくなったことでしょうか。
小さな幸せをたくさん感じています。
「小さな幸せを見つけるのがうまくなった」というのは、永井祥子さんにはとても
及ばないが、すごく実感する。
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私は主治医から障害が遺ると聞いたとき、先が不安に思えたし、いまも障害の
せいで不快を味わうとき「たまらんなー」と自分がイヤになるけれど、不幸だとは
感じない。
幸・不幸というのはその状態をさすのではなく、感じるものだと自然に気がついた
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⑥【引用】
(シベリア抑留の体験を詩にあらわした石原吉郎さんの言葉)
「ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が
殺戮されることにあるのではない。
そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、
私にはおそろしいのだ。…
死においてただ数であるとき、それは絶望そのもの…
人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれ
なければならないものなのだ」
この言葉を聞いて、すごい衝撃を受けた。
「ジェノサイド」は一時の人間の大量虐殺であり、そういうものだからこそ
恐ろしいものだとずっと私も思っていた。
「大量」と一言で片づけられる人間たち一人ひとりに名前がある。
その人の誕生とともにその名前をつけた親の思い、その名前で呼ばれ、答え、
生きてきたのに…。(アウシュビッツでは、フランクたち収容者は番号《数字》で
呼ばれた)
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いつかの記事にも書いたけれど、ある本で鶴見俊輔さんが述べていた。
【引用】
「どんな人でも、家のなかでは有名人なんです。
赤ん坊として生まれて、名前をつけられて、有名な人なんですよ…
家のなかで無名の人っていないです。それは、たいへんな満足感を与えるんです…
そのときの「有名」が自分にとって大切なもので、この財産は大切にしようと
思うことが重要なんじゃないですか…」
「人間の尊厳」と言うけれど、それは〇〇さんという、ちゃんと名前を持った
ひとりの人のことを想わなければならない。