①
コロナが、人間をあざ笑っている。
(コロナ禍のつぎの災いはこれだった。人間が人間を殺す。コロナどころの残虐ではない。
人間とは現在のプーチン、ロシア政府だけではない。
人間は「高等生物」だというけれども、あらためてコロナと同じ生物の一種にすぎないことを痛感した。
しかも個人的にどれほどやさしくても、かざした「大義」のために他人を殺せる。
《コロナにはプーチンたちだけを標的にしてほしいが、残念ながら「下等」なのでプーチンと庶民の
区別はできない。それはロシアの攻撃のようだ。口先では軍事施設のみ…と言いながら、一般市民が
住んでいるところも見境なく標的にする。
「人間の良心」をあざ笑う)
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②
1月21日に書いた「ヒトは…自分たちが地球の主人公にふさわしくないことに…」
という『アイの物語』の人工知能ロボット「アイ」の言葉を想わざるをえない。
(このSF空想未来小説は、進化をとげて人間なみに発達した人工知能《AI》ロボットと現実の人間の
相克の物語。
これに刺激されて読んだ別の小説は『ハーモニー』といい、核戦争で生きのびた一部の人間のあり方が
描かれていた。
どっちも大いにあり得る話であり、とても考えさせられた。
世界大戦は第一次、第二次と続いてからは起きていない。
「第三次」はあり得ないと信じてきたけれど、それは宗教と同じく、そうあって欲しいと願ってきた
「信仰」に過ぎなかったことを感じる。
《習近平がロシアと結び、日本を含むいわゆる「西側自由主義諸国」との間の平和外交がうまく
いかなかったら、どこかの誰かが自棄になり、核ボタンを押すかもしれない》
第二次大戦後、「大国」は自らの利益にもならないので二度にわたる世界大戦を「反省」し、
みんな仲良くしよう、ケンカはすまいと自分たちを「親分」とし、お互いの勢力範囲を保障するため
「親分」だけの核兵器保有は認めるという手前勝手を強行し、核兵器の「戦争抑止力」を信じ、
自分たちだけ「拒否権」を持ち、「大国」以外の国々を「子分」とする国連をつくった。
《私は「なわばり」を加盟の組・暴力団が認め合うようなものを連想した》
国連、国際法・条約のようなもの。「日本国憲法」によく似た無力さを強く感じる。
それは「努力」規定にすぎない。
下記の愛読ブログ、recocaさんの記事をお読みください。
第二次世界大戦後、戦争・紛争は冷戦、民族、宗教などいろいろあったし、いまもあるけれど、
地球規模で環境、エネルギーなど考えなければ自らの存続さえ覚束ない地球環境保護、SDGsが叫ばれる
時代になって、下品・野蛮きわまりない一方的な攻撃を、しかも北京でのスポーツ平和祭典のさなか、
いくら陰で事前に習近平の黙認を取りつけていたと勘ぐっても、プーチンがするとは想わなかった。
戦車などによるミサイル攻撃が近代的な大都市で白中堂々と行われている光景を目にするとは世界中の
庶民は誰も想わなかっただろう)
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③
こんどのプーチンを見ると「独裁者」だと思える。
(プーチンを生んだロシアの政治体制が、「独裁者」の代名詞のようなヒトラーの当時のドイツと
似ているのかどうかは知らないけれど、ソ連時代、「KGB」という有名なスパイ組織にいたプーチンが
本人は否定しても《するわけない》政敵を暗殺したりしたのは、お兄さんを暗殺した北朝鮮の金正恩と
そっくり《いまのところ暗殺のような禍々しい謀略こそ聞かないが、中国の習近平も近いのだろうか》)
西欧型の民主主義が、社会の現実を見れば優れているとは思わないけれど、
「独裁」は絶対によくない。
「独裁」は、本来、主権者であるはずの国民がきちんと考え判断しなければ
ならないことの、その人物への「丸投げ」。
国民にいいこと(「いいこと」といっても真実は複雑でわかりにくい)をしても、それ以上
悪いことができるのだ。
残虐きわまりない殺人と人々がとてもなく膨大な時間をかけて積みあげた価値ある
財産の破壊。
(「死と破壊」は一瞬に起きるという残酷な事実をあらためて見届け、確認する)
と、思うことを書いたけれど、むなしい。