前回の記事は、この本に刺激されてのことだった。
久坂部羊さんの、
『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木しげるの言葉ばかりを集めた『冴えてる一言』
「偶然」、たまたまということの人生における重みをあらためて痛感した。
「偶然」は人生の「パスワード」。
あの戦争でいちばん悲惨だったといわれる南方で、地獄さながらの体験、
この世とは思われぬ悲劇、悲惨をなめつくした水木しげるの目をとおした思い、
言葉がたくさん紹介され、それらへの著者の熱い心が語られていた。
言葉としての「偶然」は少なくても、それが潜み、隠れていることを感じた。
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六つだけ紹介します。
(きょうは三つ)
①「この世に生まれてきたことが偶然であるように、我々の運命もまた、
偶然にあやつられているからではなかろうか…
我々が努力し、あるいはなまける。そういう心の動きすら、
偶然の神秘によってあやつられているのだ」
水木しげるは、仲間の兵のほとんどが、アメリカ兵と戦って撃たれるより、
マラリアやチフスに侵されて自死、飢餓で自死という地獄を見た。
自分をふくむごく一部の人間だけ生還した。
彼らは死に、自分は生きのこったという事実の重み。
そういう事実、その「偶然」を前にしては、いかなる説明、理屈もただむなしい。
その「偶然」を「運命」ということもある。
それに抗うような、「幸運」を呼びよせるとか「運命」を切りひらくなどの
言いまわしがあるけれど、自分の力ではどうにもならないものが人生にはある。
私は職場で剪定の仕事をしていたとき木から落ちて身体障害者になった。
そのときから「偶然」をよく意識するようになった。
ふつう、(木など高いところに上がることは稀でも)車の運転は多くの人が日常的に行う。
「私は交通事故を起こさない」「交通事故に遭わない」などと、誰が言えよう。
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②「猫や犬も人間ほど心配してはいないようすだ…」
人間が「たいへんだぁ、たいへん…」と大騒ぎしても、猫や犬にしてみれば心配し
騒ぐほどでもない物事があるということ。
(そもそも、自分は「偶然」人間に生まれた。犬や猫ではなかった。人間だったから心配する。
人間でなかったら…と想像してみることもだいじなことだと思う。
「事実」におしつぶされないためには「想像」は欠かせない)
久坂部さんは作家であるが、医者でもある。
世間では認知症が「心配」されているけれど、
「認知症は自然の恵みという一面もある。…
認知症の治療薬は…本人のことを思えば、むしろ「進行を早くする」薬のほうが
望ましいのかもしれない」のかといわれる。
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③「あなたは我々に飼われているということをまだお気づきにならないのですか」
猫犬などのペットの飼育、牛豚などの牧畜。
人間にしてみれば彼らを飼っているのだけど(「主」が人間、「客」は動物)、
彼らにすれば飼われてやっているわけでもある。
そのことを通じて(見方を逆にすれば)彼らのほうが人間を飼っているともいえる。
(すべては関係、縁のつながりの中でしか存在しえない。ならば「共利共生」がいちばん!
どっちが「主」どっちが「従」と思うこと自体がナンセンス!
物事を「主客転倒」して想像してみることはハッとすることがある)