飼いぬしに抱かれているイヌを、目のまえで見た。
散歩しているとき駆けまわったりクンクンしている姿は遠めにはよく見かけるけれど、
静かに抱かれているところを間ぢかで見たことはあまりない。
(あったのだろうが、意識して見つめたのは初めての気がする)
(グーグル画像より)
すぐ横でツレが「赤ちゃんみたい」というのに、私も大きくうなづいた。
「赤ちゃん」というのは、抱かれていることもあるけれど目である。
つぶらな瞳の動きがヒトの赤ちゃんそっくり。
視線があうと、しばらくの間こっちの目をじっと見つめる。
あの瞳を前にしてはウソはつけない(ウソは見ぬかれる。国会議事堂で飼ってほしい)
「このオッサン、つまらん」と感じるのか、やがてふいとあらぬ方向に目をそらす
ヒトの赤ちゃんそっくりだ。
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愛読ブログに家族のように愛され(「かわいがる」よりも「愛する」が合っている)、
そのようすを記事にされる方がおられるけれど(イヌ・ネコの気もちの日本語翻訳つき)
そのお気もちが一段と身にせまった。
飼いぬしさんはもちろん、ネコ好きの方にはそんなことないのだろうけれど、ネコは警戒心が強そうで
散歩ちゅうにみかけて愛想をふりまいても知らんぷりされる。睨みつけられる。逃げられる。
とても、テレビ番組『世界ネコ歩き』の岩合さんみたいにはいかない。
ネコのほうでウマ(猫は馬ではないけれど)が合うかどうかとヒトをみているのだろうか?
悲しいかな私は失格で、イヌやネコなどの動物的直観からほど遠く、仲間にいれてもらえそうにない。
思いだしたことがある。 働いていたとき職場のうらの小道をとおらなければならず、小道の向こうに
家があり、その家の周りはフェンスで囲まれ、中には放しがいのイヌがいた。
ほかの同僚にはどうだったのか知らないが、私が小道をとおると腹がたつくらいうるさく吠えた。
(こっちはなにも悪意はだいていないのに)。
大人げないと思ったが威嚇したことも…。「オマエより強いのだぞ」とその犬より大きな声で唸った。
小石を(手加減してだが)投げたことも…(一度や二度ではないが、もちろん一度も当たらなかった)
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犬のことで二つ思った。
① 若いころ「ヒューマニズム」という言葉をよく聞き、使った。
いまの若者も聞いたり使うのだろうか。
(「民主主義」はいまでも、いやいまの方が昔よりそうでなくなったあらわれなのか、よくいわれる)
そのころは「人間主義」と解釈したけれど、老いたいまは「人間中心主義」に変えたほうがいいと
考えるようになった。
② 日本史で「お犬さま」こと、江戸幕府第5代将軍綱吉の「生類憐みの令」を
習った。
イヌが殿さん姫さまのように駕籠に乗っている姿を想像し、「イヌのくせに」と感じ、綱吉のバカ!と
思ったけれど、いまではバカと思わなくなった。
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ヒトをふくむすべての生きものを、地球というそれ以上わけようのない巨視的な
世界から視るということをしなければ、ヒト自身の維持さえ危ういところに
人類は到達しつつあるらしいのに、「地球がダメなら宇宙があるさ」という人も
いるらしい。
すでに宇宙の「分割」、「取りあい」の競争がアメリカや中国で始められているらしい。
イヌネコより人間がエラいなんて間違っても思ってはいけない。
救えるはずの地球を放っておき、見きりをつけるなんて、ひどい格差の放置とおなじように、
神さまがゆるされるはずはない。