②「無教養」
「教養」は知識の有無とか多寡とか、理解力など能力とは関係ない。
もちろん「常識」も。
(ついでにいうなら「知性」とかいわれるものも。
みんな紹介したいのですが、少しだけ)
ーーーーー
【引用】
「①〈人格をゆがめる可能性〉
(「貧困」に陥ると)薬物の売買を手伝わされたり、縄張り争いの暴力に巻き込まれたり、
食べるために体を売ったりしなければならなくなる。
一度こうした体験をしてしまった子供が、学校教育などをまったく享けぬまま自力で更生し、
一般社会に溶け込んでいくのは至難の業です。…
勉強は後からでも間に合うけれど、人格や社会性はそうではない。
…
②〈公用語のしゃべれない子供たち〉
(アフリカやアジアなどの「開発途上国」では)一つの国に何十という民族がひしめき、
まったく異なる言語や宗教を持っています。…
売春婦となることがいいことかどうかは別にして(売春婦になればお金が手にはいり学校に行ける。
学校で正しいヒンディー語を学べる)…正しいヒンディー語を学ばなければ(売春以外の仕事に
つこうとしてもつきにくい)ということを十分わかっていたのでしょう。
…
③〈青空教室で教える避妊法〉
(NGOが産児制限のたいせつさをわかってもらい実行してもらおうと、アフリカの貧しい村で
コンドームの使い方を、木の枝を男性のあそこに見たて、そこをコンドームでおおう実演して
教えたところ、翌日、木の枝にたくさんのコンドームがつけられていたという)
この逸話からわかるのは、まったく教育を受けていない人たちに知識を正しくつたえることの難しさ
しっかり説明したり、実演したりすれば、わかってくれるだろうと思いがちですが、
そうではありません。
…
④〈ナイジェリアの例〉
彼らが携帯電話を持っているからといって、科学的な思考ができるようになったと思い込むのは
早とちりです。携帯電話の操作方法はとても簡単ですし、通話相手が同じような人間であれば、
彼らのもとに入ってくる情報は以前と変わりません。
…
⑤〈迷信は本当に悪いのか〉
考えるべきは、彼らが教養を得て論理的な思考ができるようになることがはたして良いことなのか
どうかということです。
知識がついたところで、彼らの生活が格段によくなるとはいえませえん。…
ときには(「やむをえないこと」とはいえ)呪術こそが社会からはじき出された人々の精神を和らげ
人生をより素晴らしいものにすることがあるのです」
ーーーーー
どの話にもうならされた。
① 私の祖母は家がまずしく学校どころか誰からも字を教わることがなかったので
文盲だったが、地域、村の(そうしないでは生きてゆけない)助けあいのなかで、後に
勉強したわけでもなかったが「人格をゆがめる」こともなかった。
(次の②にも関係するけれど、いま読んでいる「民族学」や「文化人類学」の一般向けの本からは
日本列島が大陸から離れ独立して存在しているという地理的な特性がいわゆる「島国根性」に結びつき
やすくとも《グローバル化した今では無関係だが》、小さな島国であるからこそ人々の助けあいが
必要とされ、結果的にそのことが「人格をゆがめる」ことを防いだと強く感じさせられた)
② 日本は日本語という母語ひとつしかないので(正確にはアイヌ民族のアイヌ語、沖縄
琉球の人々の言葉があるけどいまはふれない)文字を知らずともしゃべるぶんには困らず
まわりの人たちとちゃんと意思の疎通ができ、コミュニケーションがとれた。
それが「一つの国に何十という民族がひしめき」「まったく異なる言語」が
使われているなかで「公用語のしゃべれない子供たち」はどうすればいいのか?
(日本しか知らない私には「その立場になったら…」と想像するしかないが、述べられていることが
痛いほど伝わってきた)
③ 冗談みたいな逸話だけど笑えなかった。
(「笑う」も「嗤う」も。「嗤う」のほうは「上から目線」で当然だけど、無邪気な笑いも)
「まったく教育を受けていない」ことがどういうことかを深く考えさせられる。
この人たちには、ああいう形の「避妊法」というものがあること自体に
想像がおよばなかったのだろう。
(「想像する」「想像できる」ということと「教養」の深い関係を感じざるを得ない)
たぶん、子どもを授かるのは自然まかせの「天(神)の恵み」であり、「産む」と
いう人為的なものとはまったく思われていなかったのではなかろうか。
④ ここもとても考えさせられた。
(〈ナイジェリアの例〉とあるのはもちろん、著者がたまたまその地で経験しただけという意味)
科学技術の進んでいる日本など「先進国」にも当てはまる、人間に普遍的なこと
「携帯電話の操作方法はとても簡単ですし、通話相手が同じような人間であれば
彼らのもとに入ってくる情報は以前と変わりません」と聞き、日本人の私でも
いまも「半信半疑」の悪夢、トランプと彼の支持者たちのアメリカを思いだす。
(「携帯電話の操作方法」より簡単な政治もあることを証明してくれた。
決してトランプだけのことではない)
⑤ 〈迷信は本当に悪いのか〉も同じく、考えさせられた。
(容量の小さい私の頭はパンクしそう)
「論理的な思考」ができる「教養」はたいせつでも、(毒キノコと食べられるキノコを
見わけられる知識などは別にして)何かを知っても腹の足しになるわけではないし、
「呪術こそが社会からはじき出された人々の精神を和らげ
人生をより素晴らしいものにすることがある」に深くふかくうなずく。
非論理的で不合理な呪術、迷信、占いなどは、社会的には排除されやすくても、
社会的に排除されやすい弱い立場におかれた個人が生きていくために欠かせない
(記事でエラそうなことを書いていても、私も非論理的、非理性的、不合理でよく感情に流される。
家の仏像にむかい、路傍の地蔵さんを前にして願いごとしたり、祈るけれど、こういうのは論理的
理性的、合理的とは思わない。
しかし、占いは嫌い。ただでもやらない。「凶」が出ても平気な強い理性はないから。
弱者は「社会的に排除されやすい」けれども、「統一教会」のように権力とズブズブの関係にあれば
真逆です。
ずっと「統一教会」を問題にされている愛読ブログのシカリさんの一昨日の記事は
「出た、自民党のホンネ。高知県議会で統一教会関係意見書を否決」とありました。
ぜひ、お読みください。
まったく信じられないのですが、これほど「統一教会」が世間から糾弾されていても「とぼける」
というか、さまざまな詭弁をろうして「統一教会」の解散を認めようとしない権力の立場に立ち、
立とうとする者ども。
「弱い立場におかれた個人」のその「弱い立場」につけこみ、「非論理的で不合理な呪術、迷信、
占いなど」を甘言でもちかけて勧誘、あげくの果てには入信にさえもちこむ「統一教会」などの、
いかがわしい新興宗教団体の数々。
宗教団体としての認可を国から受ける条件《賄賂みたいなもの》に選挙協力など「自民党応援団」
になることを約束、お互いがウィンウィンの関係にあるのだと、私は勘ぐります)