カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.4.26 してはいけないことがある

昔に読んだ河合隼雄さんの本に、「なぜ援助交際はいけないか?」といえば

それは理屈の問題ではないと、穏やかなこの方には珍しいくらいの厳しい言葉で

述べられていた。

 

殺人を犯した少年が、「どうして人を殺してはいけないの?」と言ったという

プーチンは何とこたえるだろう? 戦争で殺人行為を、兵士の私は自分をどう納得し正当化させる

だろう?できるわけがない! 誰も兵士にならなくてよい世の中でなくては…)

         



この前、ここで「理性を越えたこころの世界」と書いた。

「理性を越えたこころの世界」という言葉に刺激されて探したわけではないが

たまたま、『倫理という力』前田英樹・著)という新書本に遇った。

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とても刺激的な内容の、すばらしい本だった。

 

「道徳」「倫理」とよく口にする。

人としてのあるべき姿・態度、つまり「人の道」を、「道徳」は心・情に訴える。

「倫理」はそれを「理屈」にして頭に訴える。何故に私たちは「人の道」

守らなければならないのかと。

(先の本の「理性を越えたこころの世界」の「理性」とは「理屈」であり、「屁理屈」も含む。

この「理性」は目的・内容・意義などにはまったく無関心で、ただ「論理」の整合性だけを指す

《真の「理性」は「心」「情」と決して対立せず、「心」「情」に裏付けられたものだと思う》)

 

「道徳」「倫理」は、法令のように社会、外側から人を規制し、縛るものではなく

個人の内側、心に訴える。

法律があるから守る、命令されたから守るというものとは根底から違う。

(自分のこころ以外の何かからというのはまったくのナンセンス。頼るべき信ずべきは自分の心だけ。

心はしてはならない、いけないと言っているのに、「法令にないから違反ではない」、逆に「法令上は

認められている」というのでするのを「屁理屈」、という。

六法全書のどの条文にも載っていないから違反ではない、という。

小説やドラマの話ではなく、「森友事件」でも反吐が出るほど見てきた

 

「良心にしたがって」

(倫理はここからしか立ちあがらないと著者、前田さんは考える)

 

①「してはいけないことがある」 

② 「〈人様〉という考え方は重要である」

③「在るものを愛すること」

の三つだけを書きます。

         



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【引用】「してはいけないことがある

理屈は人を救わない

はっきりしていることは、理屈は人を救わない、決して誰をも賢明にしないということだ。

私たちの社会で、殺人を禁じているものは、法律でも国家でも、また社会そのものでさえない。

この社会を、そうしたさまざまな禁止を生んでいる何かである。

私たちは、まさしくこの社会のなかでだけ個々人であることができる。

仕事をし、考え、争い、自分であることができる。

こっそりとであれ公然とであれ、禁止を破ることは、まずそういう〈自分〉が御破算になることである。

犯した犯罪を隠している者の苦しみも孤独感も、そこから来ている。…

この気付きは、ほとんど感情に等しい

そしてそれが単なる感情に過ぎないと思い上がった時、人はとんでもなく誤るのである

 

(注:「」〈〉、太字太字はこっちでしました)

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この気付き」とは、自分の心の奥底の声(良心)ではないだろうか。

 

この気付きは、ほとんど感情に等しい

単なる感情に過ぎないと思い上がった時、人はとんでもなく誤る

 

血を見るのはイヤだ、死骸を見るのはぞっとする。

そういうのは勇気がない、男らしくない、女々しい…と「思い上がった時、

人はとんでもなく誤る

 

(「殺人」というのは極端で、ごく軽いのは「ウソをつく」ということがある。

「ウソ」「偽り」とはいっても、一時的な方便、相手を慮ってのウソというものもあるけれども、

「捏造」「偽造」という、人を死に追い込むのもある。

心の奥底の声に耳を澄まさなければ)

 

 

 

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                           ちりとてちん

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