カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.11.4 移動する(旅)

②移動する(旅)

(ここでの「旅」は乗りものを使ってのものに限っています。

私は旅が大好きで、文句タラタラいいながらも節操がないので「GOTOトラベル」乗っかかって

この間もいった。こんなオトクがなくてもいく)

 

これは人間の生活の中心の一つ、はこぶ【交通・運輸】出てくる話だった

 

はこぶ【交通・運輸】は、

ヒトを運ぶのが交通、モノを運ぶのが運輸、情報を運ぶのが通信」の三つがある

と述べられる。

(次回は③「知る、伝える(情報)として、三つ目の「情報を運ぶのが通信」を述べます)

ーーーーー

ヒトを運ぶ…交通」の最大の特徴は、科学の技術への応用、

その技術自身の進化、発展。

 

(①の「着る-衣」、時代や空間による違いはさほどない素朴な話だった。

綿、羊毛、絹、麻などの自然素材の多くが、織《おり》などの作業工程に自動機械が登場し、

人手がかからず安価大量生産できるようになったので、合成繊維など人工素材が圧倒的に増えたが

科学技術の出番はそれほど多くはない。

 

「食」もさほど変わらない。

食べるものすべては自然素材《人間も生きもの、動物》。

保存のために加熱・燻製処理されたり、発酵など科学の原理をいかしたものもあるけれど、

技術の出番は、加工食品工場、大規模農業にみられる地面の整備と土壌の改良・作業の手助け

効率化のための自動機械の導入、大型漁業など)

 

       

 

ーーーーーーーーーー

それまでは馬などの動物に直接のるか、車輪を発明して作った荷車と組みあわせ

人や牛馬の力で荷車をひかせてそこに乗るという以外、自分で歩くか走るほか

なかったけれど、それまで培われてきた科学が乗り物に応用された技術の発達は

衣・食の比ではなかった。

(現代にいたっては乗り物はだれでもよく利用する。

人々への身近さは衣食住に劣らない)

 

科学技術の現実の生活への影響ということで、あらためて「産業革命」におもいが

飛んだ。

産業革命というと、第一にワットの蒸気機関がうかび、次にそれを利用した

スチーブンソンの蒸気機関車が連想される。

子どものとき歴史でならったときは「はぁーそうか」で終わったけれど、

人生も終わろうとする頃になって、それがいかに「革命」的なことだったか

強く感じられる。

 

産業革命は、交通、運搬など移動において、運ぶためのエネルギーを牛馬など

生きている動物の有機的なものから、植物の死骸が気のとおくなる時間をとおして

堆積した石炭(石油)という無機的なものへと変えることにより、量とスピード

移動の「いのち」)を飛躍的に向上させた。

(また、石炭・石油はそれ自体が科学技術の力でさまざまなものに化けた。これらの物事が当時、

どんな衝撃でもって迎えられたのか。現在のインターネット、スマホの比ではなかっただろう)

ーーーーー

【引用】

「〈線路がもたらすエトセトラ(近代)

化石燃料がもたらした交通の革新は「travelからtourへ」というテーゼに要約できる。

→(「トラベル(旅行)」は「トラブル(厄介)」と同根だという。

「たび(旅)」の語源は「たべ(給べ)」つまり食べ物を乞うことに由来。

昔のは食べ物を乞わねばならぬほど苦難の多いもので、芭蕉でも行き倒れを覚悟したほどだった)

鉄道という近代交通システムは、輸送力の大量化・高速化をもたらしたのみならず

移動する身体を大地から切断し、その知覚のめまぐるしく移り変わる風景に投入したことで、

パノラマ的と称すべき新たな身体感覚を発生させた。

馬の走りや河の流れでは体験しえない猛スピードを、人類は初めて経験したのだ。

この新知覚を、旅行者と大地との間の決定的な乖離として捉えることも可能だが、

反面、圧縮された風景を瞬時に閲覧する体験は、大地や風景に対する新たな認識を可能にした

 

はじめの「」の語源の話、「travel」も「たべ(給べ)」も感心して読んだ。

けど、あとの移動する身体を大地から切断し、… パノラマ的身体感覚

には、高速度の電車に乗っているとき、身をまかせているときの実感、体感を

ピッタリ言いあらわしており、これ以上ないほど深くうなずいた。

 

新幹線のような超高速の乗り物ではなくとも、ふつうの電車でも(昔よりずっと、

スピードがあがったので)移動する身体を大地から切断し」たパノラマ的

身体感覚を感じる。

(ふだんは「あるがままの状態、状況に身を投じている」、つまり「慣れている」ので

意識しないが、電車に乗っているということでなくても、

「不思議!」「どういうことだろう?」と新鮮な驚きを感じることが誰にもある。

私には写真もそうだ。

下のような記事のあいまに載せる写真。撮ることで観察するので《パソコンへとり入れた後も》

「発見」があっておもしろい

 

      


ーーーーー

鉄道やバスのをあすに控え、その晩はうれしくて子どものようにドキドキして

あまり眠られない。

翌日の本番は眠たいけれども、眠るのはもったいないので指で眼球をひらく。

車窓の移りゆく風景、駅などで停まったときの人々の姿からさまざまなことを想い、

「ああ、ここでも人が生きている」と感じる。

そして、自分も生きているんだと感じる

 

 

 

                           f:id:kame710:20171029114701j:plain

                           ちりとてちん

 

<