生きているから歳をとる。あたり前の事実。
その客観的な事実は自分にも当てはまり、たくさん年を重ねてきた。
しかし、その「事実」は私のアンテナに引っかかり、「意味」をもち「価値」にも
なっている。
ともかく、私はジジイになった。
不思議な感覚だが、(鏡の前に立つのは別にして)老人になった実感はさほどない。
しかし、「ずいぶん歳とったもんだ…」という感慨は強い。
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『年をとって、初めてわかること』 立川昭二
(グーグル画像より)
しみじみとした気分になった。
読んでよかったと思う本に出あえてよかった。
これも幸せの一つ。
本は小説、文学に表された老いをいくつか紹介し、著者の感想を述べたもの。
①「はじめに」でいわれること、②幸田文と田辺聖子の言葉、③山本周五郎の言葉
と深沢七郎の『楢山節考』からの「老いの価値」、ということで三つを書きます。
(今日は①)
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「〈老いを読む〉
老化防止の医学知識や介護福祉の情報を追う前に、その老いをどう受けとめるかという
ある覚悟のようなものをかためておかなければならない。
…
(江戸時代には「若返り」という思想はなく、あったのは「養生」)
「養生」という思想はただ健康でながいきするというのではなく、
心穏やかに楽しく生をまっとうするという生き方の指針であった。…
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり (岡本かの子)
…
老いの不安感や孤独感、悲哀感や喪失感をしいて退けようとするのではない。
むしろそうした現実や感情を、文学を読むことによって、自分と身辺の老いを相対化し物語化
していけば、悲哀や喪失もおのずと浄化し、不安や孤独もおのずと昇華していくのである」
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人によってはアンチエイジングも、気に入った介護福祉の施設を探すことも大切
だが、その前に「老いをどう受けとめるかというある覚悟のようなものをかため」
ておく必要を強く感じた。
(あっ、そうそう。私は「老活」《「事前指示書」を書いたりの「リビングウィル」のこと》もして
おいた方がいいと思う。その「活動」を行う中で気づくことがたくさんある気がする)
「自分と身辺の老いを相対化し物語化していけば」
「相対化」というのは「対象化」、つまり自分から離してみるということ。
自分ごとを他人ごとみたいに、眺める。
物語なのでちょっと手も加え(演出・脚色)てもかまわない。
おもしろく仕上げたい。
(悲哀や喪失もおのずと浄化し、不安や孤独もおのずと昇華していく)