カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.6.23 『北の無人駅から』

何かでこの本のことを知り、書名にも惹かれて読んだ。

分厚く(800ページ近い)2500円と高価。

もちろん図書館から借りた。

 

こんな本が気軽に読める図書館のありがたさを、あらためて感じた。

(働いていたときは「借りる・返す」のが面倒で、図書館を利用したことはない。

夜のホッとした時間は新聞に費やされ、その後の読書は眠くて2、3ページがやっと

で、読みたい本は少なく買っていた《少なくても「積読(ツンドク)が多かった》

 

全部で七つの話がある大著で、私の読書力ではずいぶん時間がかかり、結局

四つはとばした

半分も読まなかったが、買っても惜しくないほどよかった。

 

『北の無人駅から』  渡辺一史 

 

(グーグル画像より)

 

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「北」とは北海道のこと。

渡辺一史さんはフリーライター

これまで北海道の地方自治体の観光課、旅情報誌などの依頼を受けて

たくさんの記事を書いてきたが、それらを参考にしながらも、

いまは無人駅となった七つの土地と、そこに暮らす人たちの取材を何年も続けて

知ることになった事実と、その事実を通して感じ、思い、考えたことを一冊の本に

したのがこれ。

 

私の心に強く印象に残ったのは

①「タンチョウと私の「ねじれ」ー(釧網本線・茅沼駅)」

②「『普通の農家』にできることー(札沼線新十津川駅)」

③「村はみんなの「まぼろし」ー(石北本線・奥白滝信号場)

の三つの話。

次のブログから一話ずつ、書きます。

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その前に、著者の北海道への深い思い、愛情について一言。

 

      

                (グーグル画像より)

 

渡辺一史さんは、北海道生まれの北海道育ちというわけではない。

若いころ、たまたま北海道と縁があり、北海道でフリーライターの仕事をすること

になったに過ぎない。

北海道を取材すればするほどさまざまな事実を知るから、また取材を続ける。

その膨大な取材で知り得た事実の背景、本質に迫ろうと、いろいろな資料を調べ

考える。

(それが著者の真骨頂ともいうべき姿勢)

調べ考えたら、本州、四国、九州のどこでもあり、あり得る話だということが

わかる。

そこがどれほど生活しにくく、辺鄙であっても、その土地とそこをこよなく愛する

人々への、著者やさしい眼ざしは変わらない(読んでいる最中から)強くた。

 

①は、いまでは日本の特別天然記念物になったタンチョウを通して「自然保護」の

難しさを、②は、冷涼な北海道では不可能といわれたコメ作り農家を通して

「農業問題」の複雑さを、③では、明治に本州から北海道に渡った父祖が命がけで

切り開いた村が国の政策「平成の大合併」で、いとも簡単に消え去っていくことの

地方自治」の無念を、それぞれの「北の無人駅」に託してあらわす。

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切り口は北海道の無人駅でも、いずれの話題も全国各地に見られる問題で、

この国、社会の根深いところを抉りだしていた。

 

「社会問題」という抽象的なものが存在するのではなく、それは必ず、

ある時代のある土地で、目に見える具体的な個別な姿・形として現れる。

 

①は「自然保護」、②は「農業問題」、③は「地方自治」で、それぞれ理屈、原理

理念がある。

でも、それは「机上」ですませられる点ですべて共通しており、①も②も③も、

そこで理屈、原理、理念、「あるべき姿」「理想」が語られても、現実は矛盾し、

さまざまな問題が存在する。

たとえ「ない」ように見えても、「いまは『ない』」のであって、先はわからない。

「こっちでは『ない』」のであって、あっちではわからない。

 

しかし、③で述べられていた著者の言葉、

一つの「村」の始まりから、その終焉までを見届けたいま、あらためて実感するのは、

時代とか社会とか制度とかではない、人間という存在そのものの難しさでもあり、そのおもしろさ、

たくましさでもあった

が強く心に響いた。

 

そして「おわりに」の言葉も。

小説やフィクションであれば、容易に乗り越えられるであろう問題が、ノンフィクションとなると…

長いスパンでその地域を見続けること(にならざるを得ないし、それが本当にたいせつなこと)」

 

久しぶりにノンフィクションの醍醐味を感じた。

(このところ、「事実の重み」ということを強く感じていたので、私にはピッタリきた。

 

つい先日、NHKの特集ドラマ『天使の耳 交通警察の夜』というのがあった。

《こっちは「ドラマ」、フィクションです》

「ただの路上駐車」という誰もが気軽にしそうな一種の迷惑行為が、人を死なせる事態につながった

という話が重く心に残った。

人を死なせても、つまり、その路上駐車が人を死なせる事態になったとしても、路上駐車した人に

現在の法律では重い罪は与えられない。

その話では、その理不尽にやり切れない準主人公の交通警察官が、法律が機能を果たさないなら自分が

ということで罰を下す、つまり「私刑」。

ドラマには他の話もあった。「交通事故」はあふれるほど多く、日常的になっている。

けれど、その一つひとつにそこだけの、とてつもなく深くて重い悲しい「事実」があるということを

強く感じさせてくれた)

 

 

 

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                             ちりとてちん

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