続けざまに川、山、海、地球の本を読んだ。
『川はどうしてできるのか 地球のミステリーツアーにようこそ』 藤岡換太郎
(グーグル画像より)
『山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門』 藤岡換太郎
『海はどうしてできたのか 壮大なスケールの地球進化史』 藤岡換太郎
『生命と地球の歴史』 丸山重徳 磯崎行雄
(グーグル画像より)
よく紹介させていただいている愛読の爽風上々さんのブログに『川はどうして…』
が紹介されていたので読んだ。
すごくおもしろかった。
「山」や「海」も読んだが、たがわずおもしろく、それらに刺激され、
自分で見つけて「地球と生命」も読んだ。
(「川」「山」「海」は同じ著者で、一般の読者が興味を持ちやすくなるようわかりやすく述べられ
とてもよかった。
が、「生命と地球」のほうは内容が複雑で、私の頭にはスムーズには入ってこなかった。
つまり難しかった)
爽風上々さんのブログがすばらしく、いつもの通りリンクさせていただきました。
(お読みください)
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藤岡換太郎さんの三冊は、誰にとっても親しい自然の具体的な姿から話を始められ
よくいわれている抽象的な理論にいたるので、とてもよくわかる。
自然の事物はあまりに身近で日常的だから、あえて意識して見ようとしない限り、
見えない。
でも見れば、わかるようになれば、とてもおもしろい。
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地図帳を眺めていると、陸地や海、山や川の形と配置がおもしろく、
想念をかき立てた。
太古、こことあそこは合体、つながっていたのでは…?
本にはそれがほぼ間違っていなかったことが述べられていた。
また、ヒマラヤ山脈という地球上でいちばん高い山々(ふつうは「地球上」という
いい方をするけれど、陸地ではなく海底《が地球の表面》を起点にすれば、エベレストより高い山が
あるという話もおもしろかった)がどうしてあの位置にあるのかというと、
太古、インドは南極、オーストラリア、南アメリカ、アフリカという各大陸と
一つだった、合体していたのが分裂してユーラシア大陸にぶつかってその一部と
なったが、そのときのプレート(「プレートテクトニクス」理論もよくわかった)の力が
もともと海底にあった地層を上に押し曲げてできたのがヒマラヤ山脈(エベレストの
ある地層には古代の海の生物化石が存在)という。
それに、ヒマラヤ山脈はあまりに高いので当時の地球を取りまく大気の流れを変え
日本を含むアジアの一部に大きな影響を及ぼす季節風、「モンスーン気候」を
生み出したという。
(私としては初めて知る新鮮な話が盛りだくさんで本当におもしろかった)
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私は生まれ育ったところが山村で、山や川でよく遊び、そういう風景のなかで
育ってきたからか、自然に親しみを深く感じていた。
(「親しみを深く感じていた」というのは大人になってから言えることであり、子どもの当時は
「自然になじんでいた」というべき。ともかく、どっぷり浸かっていた)
子どものころの記憶、思い出のうち、山や川が出てくるものは断然多い。
一つ。小学4年生のとき、深さが膝までしかない小川で友だちと二人、
砂金探し(掬い)をした。
一つ。川原の丸い小石、道ばたのごつごつした石…何でもない石に、いつごろ、
何が原因で、どのようにしてここにやってきたのか?
子ども心に想像をかき立てることがよくあった。
一つ。まわりは山と川ばかり。海がなかった。海にあこがれた。
海辺では草木がちょっと変わり、海水(塩水)なので棲んでいるいる生きものが
大きく変わる。それが不思議ですごくおもしろかった。
海は広い。よその国につながっている。子どもながら大いにロマンを感じた。
(グーグル画像より)
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子どものころに養われた山や川や海などへの思いは変わらない。
成長してからも変わらない。
現在のように大昔からの自然環境が少し変わっても、
少しの変化が100年に一度の大災害を引き起こそうとも、
地球は宇宙人でも攻めてこないかぎり基本的に安泰だ。
(いつまでたってもいがみ合い、殺し合っている人類のバカさが思われる。
現代は「いがみ合い」の範囲は宇宙まで拡大し、軍事衛星でしのぎを削っている)
被害が自然によるものならば、どれほど過酷でも、いまの科学技術では
「しかたがない」とあきらめがつく。
(ところが現実はまったくそうではなく、「経済的格差」が「災害格差」につながりやすい。
お金があれば、災害が予想されるところから離れられる。
また「先祖代々」とか「100年に一度」だからの理由で離れられなければ、どこかに移らなくても
いいような公的な援助をすればいい)
そればかりか、災害に立ち向かおうと力を合わせ、人間が生きる上でいちばん
大事なものに気づかせてくれる。
(そう考えれば「宇宙人来襲」も自然災害の一つといえそう)
最後に、すごく印象に残ったことが『海は…』のなかでいわれていた
著者の言葉を紹介します。
(藤岡さんは、地球が誕生した46億年があまりに気が遠くなる長さなので46億年を365日、
1年に縮めた「地球カレンダー」をものさしとされていました。
あと23分で年が改まる12月31日夜の11時37分に人類が登場した)
「みずからが破壊した環境のために人類が滅びても、
海はまたなにごともなかったように潮騒を鳴らしつづけることでしょう。
海は大気や陸、生物との共進化をとげながら、悠久の時間のなかでゆっくりと大きな循環を
繰り返しています。
気候の温暖化と寒冷化も、超大陸の分裂と形成も、生物の繁栄と絶滅も、
海がそれぞれと連動して生まれる循環です。
海は循環しながら、そのときどきでさまざまにかたちを変えているのです。
わたしたちが生きている間に目にすることができる海とは、そのうちの…一瞬の姿でしかありません。
それでも、いまわたしたちの目の前にある海がどのようにしてできたのか、
なぜ海はいまこのような姿をしているのかを知ることが、ゴーギャンの発した問い
(「わたしたちはどこから来たのか?わたしたちは何か?わたしたちはどこへ行くのか?」という
有名な人間についての根源的な問い)への答えに一歩でも近づくことになるのではないでしょうか」