カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.1.25「世界の人がみな幸せに… 

                                                  カメキチの目

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ならない限り、私の幸せはない」という意味のことを宮沢賢治がどこかで述べていたのが、ふと思いだされた(勘違いかもしれません)。

 1月17日、阪神・淡路大震災24年目の夜、『ドキュメント豪雨災害』という新書本(副題は「そのとき人は何を見るか」)を読んでいたときのこと。 

 

 本は、2011年の9月はじめの紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号による大災害(のちに「紀伊半島豪雨」「紀伊半島大水害」と呼ばれた)を著したものだ。

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 その豪雨災害は、3月11日には東北大震災があったばかりで、その未曾有の被害、「津波」の衝撃的な恐ろしさ、さく年原発事故」による放射能禍の不安、また近いうちに起きるであろうといわれる南海トラフの大地震・大津波への備えが大きく注意喚起されるようになり、その心配が強く人々をとらえていたからか、さく年の西日本豪雨災害などのようには多くの人に詳しく知られているとはいえない。

 地方のテレビ局はなんども詳細な報道をするので(私は関西に住んでいる)、テレビ映像で現場の惨状をよくみていたのでその酷さを身ぢかに感じている、と思っていた。

 

 しかし本を読み、その「身ぢか」のなんとうすっぺらのものだったかと、著者(稲泉さんというドキュメンタリー作家)の迫真せまる現地取材に思いしらされた。

 土地の古老でさえはじめて経験する雨の降り(心臓がドキドキしてくるような豪雨とはどんなのだろう?)。

 古老が生まれる前から変わらずあった山、川、里の景色が一変したという。

 あの豪雨のもたらす山塊崩壊(それも深層)、土砂の流出、川の堰き止め(流木などにより自然のダムができる)などの災害をうけて。

新十津川」というところが北海道にあることは知っていたが、十津川村の話のところでなんで「新」なのか詳しく知った。

 那智勝浦町の町長さんが災害対策のリーダーとして、そのときは行方不明中(あとで死亡が確認)の妻、その日が結納だった娘の死(流された)に仏壇に手を合わせるためにだけちょっと時間をさき、これ以上の被害を出さないためにと、いっさい私的な感情はおくびにも出さずに責務を果たす姿が描かれたところではボゥーとしていた。

 

 通りいっぺんの報道に接し、情報を聞くだけではわからない(もちろん、それだけでも「聞かない」「知らない」とはまったく違うけれど)、実感に近づけないことを、私はこのドキュメンタリーを読むことで当時の現場をリアルに感じるとともに、そのことを通して、ときに荒神と化し、人間をためすかのような自然の恐ろしさを痛感した。

 

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 ボゥーとしていたときに、ふと

題名にもした宮沢賢治「世界の人がみな幸せに…」が浮かんだのでした。

 

「世界の人がみな幸せに」は私も共感しますが、それは不可能なこと。

「幸せ」というのはそもそも個人の主観的なものだし、このドキュメンタリーのような自然災害はいたるところに発生している。やめることのできる戦争、事件、事故のような人工災害とは真から違う。いつ、どこでも、だれでも自然災害には遭う恐れがある。

 世界のだれかが世界のどこかで自然災害に遭う不幸は避けられない。

 

 やり切れないような不幸が起きる人生。

 敬謙な宗教者でもあった賢治は、「世界の人がみな幸せになるように」と祈るのなら自分の幸せにひたってもかまわない、と言っているのかなあと思った。

 また同時に、生まれ育った土地、先祖代々の場所がどれほど自然災害に遭いやすくても、辺鄙でも、そこを離れようとはしない人々の郷土愛と、さっき人間をためすかのような自然の恐ろしさ」と書いたけれど、自然は「恐れる」ものというより「畏れる」もの、「崇める」ものとして、それを前にしては敬虔になければならないことを強く感じた。

 

                             ちりとてちん

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