今日は①、
「外在化」-「免責」から「引責」へ
ということです。
(著者たちは大学の先生で、抽象的な言葉が多い。
で、私は頭が痛くなりますが、いわれていることはよくわかります)
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①「外在化」-「免責」から「引責」へ
「「外在化」
「免責」から「引責」へ
一度それらの行為(責任を問われる行い)を外在化し、自然現象のようにして捉える、
すなわち免責すると、外在化された現象のメカニズムが次第に解明され、
その結果、自分のしたことの責任を引き受け(引責)られるようになってくるのです。
…
(國分さんの一般向け公開講座で、「自由意志など存在しない」というスピノザの言葉を聞いた
ある参加者《元・犯罪者》が、自分の起こした罪深さを初めて心の底から認め、
引き受けようとする責任感が生まれたという話→
その人は)「お前は自分の意志で犯罪を犯したのだ」と周囲から言われ続けてきたのでしょうし、
自分でもそう思っていたでしょう。だから、むしろ逆に「自由意志など存在しない」という話を聞いて
意志が免責されたときに、逆に自分が犯した罪を引き受けようとする責任感が生まれたのではないか」
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人のあり方、行為、態度を見るときの、スピノザの「自由意志など存在しない」
というのは、能動的でもなく受動的でもない、すなわち「中動態的な」見かたの
お手本だというようなことを國分さんはいう。
「自由」とは、よくいわれるように必ず「~からの自由」、「~への自由」であり
~という文脈(スジ)から外れた(それこそ「自由」な)独立・純粋な「自由」など
あり得ない。
人は、「私は自分の自由意志で決めた」と思っていても、
100%完全に自分の意志で能動的に決めた、選択したのではなく、
かといって100%完全に何か自分以外のもの、他者により受動的に決めさせられた
わけでもない。
「さまざまな要素、過程、経験があり、それらが複雑に重なり合って」私の過去は
構成されており、そこから現在、いまの自分の意志が生まれている。
意志とはそういう成り立ちをしていることを理解する、わかるために、
自分のしたことを「中動態」的にとらえ、一旦、責任を棚あげにし、
「外在化」してみる。
(自分の責任、犯した罪であっても、一旦、自分から切り離し「他人事」のように客観化してみる)
そのような、自分の歩いてきた道、過去をていねいにふり返る作業は苦しいけれど
それをする中でこそ、これまで見えなかったものが見え、感じられなったことが
感じられてくるのではないだろうか。
そして、心から責任を感じ、納得のいく責任も取れる。
(「謝ればいいんだろ、謝れば」「返せばいいんだろ、返せば」「《刑務所に》入ればいいんだろ
入れば」…という問題ではない)
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本のあるところで國分さんは、論語の「義を見てせざるは勇無きなり」を挙げ、
「責任というのはこのような「義の心」のことではないでしょうか」
さらに「意志の概念で使ってもたさられる責任というのは、じつは堕落した責任」
といわれる。
(「謝ればいいんだろ、謝れば」…のようなものだろう)
〈オマケの話 二つ〉
一つ
◆ 「自由意志など存在しない」ということ。
現実に「自由意志」というものがあるでしょうか。
自由に決めた、自由に選択したと思っていても、怪しいもの。
例えば「インフォームドコンセント」。医者に治療方法を自分で自由に選らび決めてください
と言われても、医療・医学の専門家ではない患者としては選択、決めようがない。
そこに「自由意志」があるといえるでしょうか。
二つ
◆ 「自由意志など存在しない」ことを強く感じる。
「依存症」の問題。
それはよくない、身体にも精神にも悪いとわかっているからやめよう、断ち切ろうと努力するけれど
やめられない。やめられないのは自分の意志が弱いからだと自分を責め、ますます泥沼に陥るという
悪循環をくり返す羽目になりやすい。
依存症からの回復のための取り組みに、有名な「AAの12のステップ」がある。
《それは、「人生は自分の思いどおりにはいかない」ことと同じなのではなかろうか》
AAと12のステップについて、ネットのあるサイトにはこうあった。
「AAとは?
AAとは、自らに飲酒の問題があり、その飲酒のとらわれから回復しようという人たちの
自助グループです。
「酒をやめたいという願いがある」ということだけがメンバー条件であり、
それ以外のことは一切問われません。…
70年たった現在、AAは世界約180ヵ国に広がり、200万人以上のアルコホーリクが
AAで回復を続けています。
日本でも1975年3月に日本語によるAAミーティングが始まりました。
現在は日本全国で460余りのグループが900ヵ所以上の会場でミーティングを開催しており、
3500~4000人のメンバーが回復のためにミーティングに通っています。
12のステップとは?
AAは酒をやめることだけを目指した集まりではありません。
酒が中心だった自分から酒だけが取り除かれたら、大きな空洞を抱えたままで
生きていかなければなりません。
アルコホーリクにとっては、酒をやめたところから回復が始まるわけですが、
それにはまず、飲酒のとらわれから自分を解放する方法を見いだし、
次にその空洞を埋める何かを探し出す必要があります。
それが12のステップで、飲酒のために混乱した病的な感情を整理し、人間関係を修復しながら、
一人の人間として成長していくことを目指したプログラムです。…
- 私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
- 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
- 私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
- 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。
- 神に対し、自分に対し、そしてもう1人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた
- こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
- 私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。
- 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
- その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
- 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
- 祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
- これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。」